ロシア連邦中部,ウラル地方のチュメニ州にある都市で,トボル川との合流点に近いイルティシ川の右岸にあり,チュメニの北東254km。人口10万5848(2004)。船舶建造・製材・木工・食品工業があり,化学者メンデレーエフの生誕地で,医科大学と工科大学がある。チュメニとともにシベリア最古の都市で,1587年にエルマークを長とするドン・コサック軍団によって建設された。トボル川のほとりでシベリア・ハーンのクチュムの大軍を撃破したエルマークはロシア国民の英雄とされ,その記念像がトボル川の河岸に建てられている。1708年から82年までシベリア県の中心地でシベリア総督府があった。そのころシベリア街道が開通し,ブハラおよび中国との貿易の要衝として栄えた。19世紀の30年代から50年代にはデカブリストなどの流刑地となった。ロシア革命直後,1918年6月から1年4ヵ月の間,反革命軍によって占拠されていた。
執筆者:山本 敏
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ロシア連邦中部、チュメニ州の都市。トボル川の合流点付近に位置するイルティシ川右岸の河港都市で、空港もある。人口9万8100(1999)。石油化学、船舶の建造・修理、林業機械、ベニヤ板、家具、じゅうたん・織物製造、骨彫刻工芸、精肉などの産業がある。ここは16世紀にタタール人が建てていたシビル・ハン国の首都イスケルの場所で、この首都をロシア人はシビーリとよび、「シベリア」という地域名はこれに由来するという。ここに1587年、コサックがシベリアで2番目のロシアの町を建設したのが起源で、全シベリアの政治・経済の中心地となったが、のちに衰えた。帝政時代の流刑地。
[三上正利]
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