高橋正雄(読み)タカハシ マサオ

20世紀日本人名事典 「高橋正雄」の解説

高橋 正雄
タカハシ マサオ

昭和・平成期の経済学者 九州大学名誉教授;東北学院大学名誉教授。



生年
明治34(1901)年11月21日

没年
平成7(1995)年9月10日

出生地
宮城県仙台市

学歴〔年〕
東京帝国大学経済学部経済学科〔大正14年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

経歴
東京帝国大学経済学部助手を経て、昭和3年九州帝大助教授となり、雑誌「労農」に参加。11〜13年文部省在外研究員として欧米を視察。13年人民戦線事件の教授グループの一員として検挙(17年無罪)。15年上海に渡り、大陸新報嘱託として19年まで上海に在住。戦後は20年GHQ嘱託、21年九州大学教授となり、同年山川均、向坂逸郎らと「前進」を発刊。廃刊後の26年には社会主義協会設立に協力した。その後ユーゴ社会主義を研究。また30年に都政調査会を創立して理事長となり、美濃部都政のブレーンもつとめた。40年九大を定年退官し、鹿児島大学教授を経て、42年東北学院大学教授に就任。同年「社会党をよくする会」(のち励ます会に改称)を創立し事務局長。58年経済計画会議理事長、63年同会議会長、都市科学振興会名誉会長を歴任著書に「日本資本主義入門」「マルクスケインズ対話」「ニッポン動物園の政治図会」「八方破れ・私の社会主義」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋正雄」の解説

高橋正雄 たかはし-まさお

1901-1995 昭和-平成時代の経済学者。
明治34年11月21日生まれ。昭和3年九州帝大助教授となり,雑誌「労農」に参加。13年人民戦線事件で検挙される。21年九州帝大教授。26年山川均,向坂(さきさか)逸郎らと社会主義協会を設立。36年社会党系の政策提言機関,平和経済計画会議を設立。のち鹿児島大,東北学院大教授をつとめた。平成7年9月10日死去。93歳。宮城県出身。東京帝大卒。著作に「マルクスとケインズの対話」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高橋正雄」の解説

高橋 正雄 (たかはし まさお)

生年月日:1901年11月21日
昭和時代;平成時代の経済学者;社会運動家。九州大学教授;東北学院大学教授
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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