ブラジルのミュージシャン。カエターノ・ベローゾとともに1960年代末にトロピカリズモ(トロピカリア運動)を推進した中心人物。ベローゾよりも、アフリカ的ないしはブラック・ミュージックよりのサウンドが特徴で、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラにおける汎アフリカニズム的な姿勢がもっとも強いミュージシャンである。ブラジル北東部のアフロ・ブラジル的な音楽文化とロック、ファンク、レゲエ、アフリカン・ポピュラー・ミュージックをリズム面でつなげる傾向が強いという点では、トロピカリズモでの盟友であるベローゾとは大きく異なっており、トロピカリズモという運動の幅の広さを示している。
ブラジル北東部バイア州サルバドルに生まれ、同地の連邦大学在籍中にベローゾやマリア・ベターニャMaria Betânha(1942― )に出会う。サン・パウロに出て多国籍企業で働くが、1965年にフォーク風プロテスト・ソングのシングル曲「ロダ」でデビュー。1966年にはエリス・レジーナとジャイール・ロドリゲスJair Rodrigues(1939―2014)が彼の曲「ロウヴォサォン」を録音し、翌1967年にはジル自身がその曲をタイトルとしたアルバムを発表する。このアルバムが、ジルやベローゾたちの音楽におけるトロピカリズモの始まりといわれている。
トロピカリズモは当時の軍政に対し批判を展開したため、1969年、反政府運動に対する弾圧が激化するなかジルは罪状なしで投獄される。刑務所ではヨガや瞑想にはげみ、その後イギリスへ亡命、1972年に帰国する。トロピカリズモのミュージシャンたちのロック的なサウンドは国内では右派からは国家転覆的、左派からは文化帝国主義的とみなされていたが、ジルは同年のアルバム『エクスプレソ2222』において、世界へつながる未来を志向する活動をしたいという決意を表明した。
1977年、ナイジェリアのラゴスで開催されたブラック・アートと文化のフェスティバルに参加。フェラ・クティ、スティービー・ワンダーら世界中のアフリカ系民族のミュージシャンと出会う。この出会いから、ブラジルにおけるアフリカ系音楽文化への傾倒を深め、同年アルバム『レ・ファベーラ』Re-favelaを発表。ファベーラはブラジルにおける貧民街だが、音楽・美術のトロピカリズモにおいては拠点のような意味をもっていた。このアルバムには、インドのマハトマ・ガンディーに捧げたアフォシェ(ブラジルのアフリカ系宗教カンドンブレの音楽)、ナイジェリアのハイライフ(ジャズからの影響を大きく受けたポピュラー音楽)やジュジュ(ナイジェリアを代表するダンス・サウンド)の影響を受けた音楽が収められ、いくつかの曲にはヨルバ語(西アフリカの言語でラテンアメリカに渡った)の歌詞も使った。
ジルは、ブロコ・アフロ(バイアのカーニバルにおいて特徴的な、黒人だけの打楽器演奏集団)を核に、音楽文化を通して故郷バイアのアフリカ文化をあらためて構築することをも考えていた。1980年代に入ると、世界的にもバイアのカーニバルが注目を集めるようになり、ブロコ・アフロやサンバヘギ(サンバとレゲエが融合したような音楽)系統の多くのミュージシャンが登場することになり、そういう意味でもジルの先駆的な業績は大きい。
1980年代末にジルはサルバドル市の文化関係の顧問になり、音楽から離れていた。その後、再び音楽に専念し、精力的な活動を続けていたが、2003年から2008年にはブラジルの文化省大臣を務めた。そのほかの代表作には『ウン・バンダ・ウン』Um Banda Um(1982)、『ラサ・ウマーナ』Raça Humana(1984)、『パラボリック』Parabolic(1992)、『アコースティック』(1994)などがある。
[東 琢磨]
『クリス・マッガワン、ヒカルド・ペサーニャ著、武者小路実昭・雨海弘美訳『ブラジリアン・サウンド――サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(2000・シンコー・ミュージック)』▽『エルマノ・ヴィアナ著、武者小路実昭訳『ミステリー・オブ・サンバ ブラジルのポピュラー音楽とナショナル・アイデンティティー』(2000・ブルース・インターアクションズ)』
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…記号はfl ozである。大きさが英米間で異なり,(1)イギリスでは1/5ジルgill,すなわち1/20パイントpintに等しく,約28.4cm3であり,(2)アメリカでは1/4ジル,すなわち1/16リクイド・パイントliquid pintに等しく,約29.6cm3である。分量単位は,ともにフルイドドラムfluid dram(=8fl oz。…
…ルイ14世治下,コメディア・デラルテの強い影響を受けたモリエールがスカパンなどの道化をつくった。18世紀のイタリアでは,ゴルドーニとC.ゴッツィがコメディア・デラルテの〈近代化〉を試みたが,ロココ趣味のフランスではピエロ役者ジルGillesが人気を呼んだ。ワトーをはじめとする画家たちが競って描いたその感傷的な肖像を見ると,道化がすっかり活力を失ったように思える。…
…フランスでは,たとえばモリエールの《ドン・ジュアン》(1665)に田舎言葉まる出しのまぬけな百姓役として登場するが,1673年,イタリア人俳優ジャラトーニG.Giaratoni(ジラトーネ)が,真っ白なダブダブの衣装に幅広の帽子をかぶったピエロとしてパリの舞台に登場して以来,ピエロは圧倒的人気を博し,定期市の娯楽の主役となった。 同じイタリア喜劇に起源をもつ白塗り,白装束の召使にジリオがあるが,ジリオがフランス語化してジルgilleとなり,17世紀に〈間抜けのジル〉役としてフランスで人気者となった。18世紀に入るとピエロとジルは混同されて,有名なワトーの絵《ジル》に見るように,青白い犠牲者風の一つの悲劇的ピエロ像に変わってゆく。…
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※「ジル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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