ブラジルの女性歌手。ブラジル南部リオ・グランデ・ド・スール州の州都ポルト・アレグレに生まれる。1959年に地元のラジオ局とプロの歌手として契約。1960年に初LPを録音。ポルト・アレグレで最高の歌手として知られるようになる。高校を中退し、1964年からリオ・デ・ジャネイロに転居して本格的な活動に入る。以後、テレビ、コンサート、録音と活発に活動する。1968年ごろにはブラジルの軍政下で外来音楽をめぐる扱いをめぐって議論が起こるが、そうしたなかでレジーナはトロピカリズモに否定的だった。彼女がこうした立場をとったのは、南部出身ということも影響している。トロピカリズモは北東部バイアやリオ・デ・ジャネイロのファベーラ(スラム街)を中心としたアフリカ系文化の強いムーブメントでもあったからである。また1972年、レジーナが陸軍の独立150周年記念運動会に参加し、反軍政を闘ってきた音楽家やファンから非難されたが、反軍政的な姿勢から亡命を強いられた経験をもつトロピカリズモの提唱者カエターノ・ベローゾは「レジーナはブラジルで最高の女性歌手である」として彼女を擁護した。こうした逸話からも、レジーナが圧倒的な力量をもった天才的な歌手であったことがわかる。
私生活では二度の結婚を経験しており、1967年に結婚した最初の夫ホナルド・ボスコリRonaldo Boscoli(1928―1994)、1974年に再婚したピアニスト、セーザル・カマルゴ・マリアーノCésar Camargo Mariano(1943― )は2人とも非常に優れたミュージシャンであった。レジーナの歌唱を長く色あせない最先端のサウンドで支えたのは、この2人のパートナーであった。
一方で、とくに新しいソングライターの曲を積極的に取りあげたレジーナの意図は以下の発言によく表れている。「歌うという行為に純粋な意図を込めようとすることは、もうそれほど簡単ではない。新たな曲を紹介しようとするのは、そうした曲がなかなか見あたらなくなってくると簡単ではなくなる。声と方法がすべてを変えてしまう」。レジーナが日本でも高い人気を維持しているのは、こうした一種の危機意識をみなぎらせながら、とくにマリアーノの強靭なサウンドに抗するように歌っているからだろう。マリアーノはサン・パウロ出身でレジーナとの仕事とは別に、音楽による都市論とでもいうべきアルバム『サンパウロ・ブラジル』(1977)のような作品もある。こうした関係のなかでレジーナ自身も、現在の視点からすると非常にフェミニズム的かつパフォーマティブな『ファルソ・ブリリャンチ』Falso Brilhante(1976)のような作品にも取り組んでいる。そのほかの代表作には『エリス1972』(1972)、『トランスベルサル・ド・テンポ』Transversal do Tempo(1978)、『或る女』(1979)、『サウダージス・ド・ブラジル』Saudades do Brasil(1980)などがある。1979年(昭和54)に来日。1982年に急死。薬物摂取による中毒死であったとされる。
[東 琢磨]
『レジーナ・エシェヴェヒア著、国安真奈訳『台風エリス――ブラジル史上最高の女性歌手エリス・レジーナ』(2002・東京書籍)』
イタリア南部、カンパニア州の都市エルコラノの旧称。
[編集部]
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