ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セテワヨ」の意味・わかりやすい解説
セテワヨ
Cetshwayo
[没]1884.2.8. エショウェ
ズールー王国最後の国王(在位 1872~79)。強い軍事指導力と優れた政治手腕により,イギリスの植民地支配に対する脅威とみなされた。若い頃から頭角を現し,1838年にボーア人のナタール侵攻を阻む戦い(→血の河の戦い)に参加した。1850年代半ば,ズールー族の若者の年齢組ウスツのリーダーとなる。1872年に父親のムパンデ国王が死亡し,正式に王位についた。1877年,ボーア人の築いたトランスバール共和国をイギリスが併合し,ズールー王国西部の領有権を継承した。1879年1月,イギリス軍がズールー王国に侵攻(→イサンドルワナ・ロークスドリフトの戦い),7月にはズールー王国の首都ウルンディを奪取し焼き払った。セテワヨは同 1879年8月に捕えられケープタウンに追放された(→ズールー戦争)。1882年7月,セテワヨはイギリスへ赴いてズールー王国の復興支援を要請し,君主としての権力を完全に奪われたかたちで復位した。1883年1月にウルンディに帰還すると,ウスツには歓迎されたが,反セテワヨの集団マンドラカジは武力で対抗する準備を始めた。1883年7月21日ウスツはマンドラカジに敗北し,セテワヨはイギリスが支配するズールー原住民居留地に逃れ,1884年2月に死亡した。公式な死因は心臓発作とされるが,ズールー族の間では毒殺と信じられている。ンカンドラの森にあるセテワヨの墓は,ズールー族の聖地として保護されている。
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