翻訳|Boer
南アフリカ共和国でアフリカーンスAfrikaans語を話すオランダ系の白人住民。ブーア人とも称される。現在はアフリカーナーAfrikanerあるいはアフリカンダーAfrikanderと呼ばれている。ボーアとはオランダ語で〈農民〉を意味し,17世紀にオランダ東インド会社がケープに入植した後,オランダからの移民を奨励し,その移民の多くが農民であったことに由来する。現在,南ア共和国の白人人口445万(1980)の約6割を占め,政治的実権を握っている。1814年のイギリスのケープ占領により北方への大移動(グレート・トレック)を行い,ナタール共和国(1838),トランスバール共和国(1852),オレンジ自由国(1854)を建国した。トランスバール,オレンジでダイヤモンド,金の富鉱が発見されたのでイギリスが戦争をしかけ,ボーア人は敗北した(ボーア戦争)。以後,ボーア人民族主義を掲げてイギリス系白人に対抗し,1924年の国民党・労働党連立内閣,48年の国民党政権の誕生以来一貫して政権の座にあり,61年にはイギリス連邦から脱退して共和国に移行した。ボーア人のほとんどはオランダ改革教会派を信奉し,その教義から来る極端な黒人蔑視は,人種差別政策(アパルトヘイト)を生み,国際社会の激しい非難を浴びている。
執筆者:林 晃史
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… ヨーロッパ列強がアフリカ海岸とインド洋を経由して海路アジアへ到達した結果,1602年にはオランダ東インド会社が設立され,インドネシアへ往復する船に喜望峰で生鮮食料を補給する目的で,オランダは本国の農民を南アフリカへ移住させて農業を営ませた。これが南アフリカのボーア人(オランダ語で〈農民〉の意)のはじまりであり,彼らの内陸への進出や19世紀にはじまるイギリスの鉱山開発のための植民に伴って,今日までつづく人種間紛争のもととなった。 ポルトガル人に一時支配された東アフリカの海岸も,ポルトガルの後退後インド洋に進出したヨーロッパ勢力の関心がインドや東南アジアに向けられたため,17~18世紀には,オマーンのアラブ商人が再び活発に東アフリカに渡来するようになった。…
… 白人ではアフリカーナーAfrikaanerとイギリス系白人が多く,その比率は6対4で,アフリカーナーが多数派を占めている。アフリカーナーはかつてボーア人と呼ばれていた。17世紀にオランダからケープ地方に入植した移民の子孫であり,みずからをアフリカーナーと称し,アフリカーンス語を話す。…
※「ボーア人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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