ゼネラルモーターズ会社(英語表記)General Motors Corp.

改訂新版 世界大百科事典 「ゼネラルモーターズ会社」の意味・わかりやすい解説

ゼネラル・モーターズ[会社]
General Motors Corp.

世界最大のアメリカの自動車会社。略称GM。本社デトロイト。馬車製造家デュラントWilliam Crapo Durant(1861-1947)により,彼が1904年に買い取ったビュイック社とオールズ・モーター社の合併により08年General Motors Co.として設立された。09年キャディラック・オートモビル社などを買収し,16年に現社名となる。設立後,数多くの中小の自動車会社を合併して事業を拡大した。18年にはシボレー・モーター社を買収している。第1次大戦後の不況のためGMも経営危機に直面し,20年にデュラントもGMを追われた。1918年にデュポン社がGMの大株主となり,デュラントの後任の社長にはデュポンPierre Samuel Du Pontが就任した。23年にスローンAlfred Pritchard Sloan Jr.(1875-1966)が社長に就任し事業部制が導入された。1920年代のアメリカは不況期の後の好況期中産階級所得増大がみられ,自動車においても単に低価格だけではなく,スタイルや色の多様性といった非価格的な面も重要になっていた。スローンはこの需要構造の変化に合わせた多様な車種を製造し,供給した。このためT型しかなかったフォード・モーター社を追い抜き,30年にはアメリカ第1位の自動車メーカーとなった。

 GMは海外進出にも積極的で,1925年にイギリスのボグゾール社,29年にはドイツのオペル社を買収し子会社とした。このほかにも1920年代から30年代にかけて,オーストラリアブラジルメキシコウルグアイなどにも進出して自動車生産を行っている。日本へは1925年に大阪に組立工場をつくっている。

 第2次大戦後もそのときどきの消費者の需要にあった車を供給することで世界一の座を確保してきた。1960年代中ごろからの小型車の輸入急増に対しては,70年ころから80年代にかけてサブコンパクトカーを開発して対抗した。84年には日本のトヨタ自動車合弁でアメリカ国内に小型乗用車を生産する企業を設立することになった。また,いすゞ自動車スズキ資本参加している。売上高1935億ドル(2004年12月期)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のゼネラルモーターズ会社の言及

【自動車産業】より

…つまり,自動車が普及するにつれて,単に価格を引き下げただけでは需要があまり拡大しないようになり,車種の多様性,性能,デザインといった非価格面の要素が重要になってきた。この需要構造の変化を背景に,ゼネラル・モーターズ社(GM)はキャデラック,シボレーなどの諸企業を買収して車種の多様化を図るとともに,流線形ボディの研究に力を入れて車のモデルを近代感覚のものに変えた。この結果,GM社の販売台数は急増し,T型フォードが生産中止となった1927年にはGMは乗用車の生産でフォードに代わってアメリカ第1の自動車メーカーとなった。…

【スローン】より

…アメリカの経営者。ゼネラル・モーターズ(GM)を世界最大の自動車会社に育て,今日の自動車産業ひいてはアメリカ大企業経営の基礎を築いた。コネティカット州に生まれ,1895年マサチューセッツ工科大学を卒業後,ハイヤット・ローラー・ベアリング社に入りその経営を立て直す。…

【フリント】より

…1904年世界初の自動車工場ビューイック・モーター・カンパニーが設立され,以後自動車産業都市として発達。ゼネラル・モーターズの工場群が立地し,労働人口の半数が同社に雇用されている。1919年創設のゼネラル・モーターズ・インスティチュートなどの大学がある。…

【ミシガン[州]】より

…湿潤大陸性気候の根雪地帯で日本の北海道に似ている。アメリカ自動車工業の中心地で,GM(ゼネラル・モーターズ)もフォード・モーター会社もこの州内に本社がある。19世紀には林業が盛んであったが,植林をしない略奪林業のため,19世紀末には伐採跡地のみになってしまった。…

※「ゼネラルモーターズ会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android