タシルンポ寺(読み)たしるんぽじ(その他表記)bKra-śis lhun-po

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タシルンポ寺」の意味・わかりやすい解説

タシルンポ寺
たしるんぽじ
bKra-śis lhun-po

中国では札什倫布、札什魯穆布。チベット仏教黄帽派(ゲルクパ派、ゲルク派)の大本山。寺名は、この寺が建てられた山タシルンポ(吉祥山)に由来する。チベット第二の都市であり、ツァン地方(西チベット)の都シガツェの南西約2キロメートルの山麓(さんろく)にある。ガンデン寺セラ寺レプン寺とともに同派の四大本山をなす。1447年、のちにダライ・ラマ1世とされたツォンカパの高弟ゲンドゥントゥプdgedun grup(1391―1474)が建立。歴代パンチェン・ラマが座主(ざす)となり、ツァン地方の政教両権を行使した。往時は約6000人の僧侶(そうりょ)、3学堂から構成され、6霊堂があったが、文化大革命によって破壊され、僧侶約600人、一部の霊堂のみ残る。

[渡辺章悟]

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改訂新版 世界大百科事典 「タシルンポ寺」の意味・わかりやすい解説

タシルンポ寺 (タシルンポじ)
bkra shis lhun po

中国チベット,ツァン地方シガツェにあり,ゲルー派四大寺の一つ。ツォンカパの弟子で,後代ダライ・ラマ1世とされたゲンドゥン・トゥプパにより1447年に建立され,政権を樹立したダライ・ラマ5世によりパンチェン・ラマ1世の没(1662)後,その転生者が住持するように定められた。三つの仏教哲学研修学堂と一つの密教実践道場があり,20世紀初めころは僧徒3500を擁したといわれる。
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百科事典マイペディア 「タシルンポ寺」の意味・わかりやすい解説

タシルンポ寺【タシルンポじ】

西チベットの主都シガツェ近郊にあるラマ教(チベット仏教)黄帽(こうぼう)派の寺院群。1447年に初代ダライ・ラマが建立したが,のちダライ・ラマの系統はラサに移り,この寺はパンチェン・ラマ系となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タシルンポ寺」の意味・わかりやすい解説

タシルンポ寺
タシルンポじ
bKra shis lhun po

中国チベット自治区シカツェにあるチベット仏教黄帽派四大僧院の1つ。ツォンカパの弟子で,後代ダライ・ラマ1世とされたゲンドゥン・トゥプにより 1447年創建。パンチェン・チューキ・ゲンツェンがここに住持したのち,その転生者のみが住し,ツォンカパの弟子ケドゥプジェ・ゲレク・ペルサン (1385~1438) を転生系譜の祖と強調した。3つの顕教学堂とほかに1つのタントラ道場をもつ。

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世界大百科事典(旧版)内のタシルンポ寺の言及

【シガツェ】より

(プール)ラシャやカーペット工場などがある。1447年,チベット黄教四大寺の一つタシルンポ(札什倫布)寺が建立され街は発展,そのためシガツェはタシルンポとも称される。明末にはパンチェンの居住地とされた。…

※「タシルンポ寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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