セラ寺(読み)せらじ(英語表記)Se-ra

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セラ寺」の意味・わかりやすい解説

セラ寺
せらじ
Se-ra

チベット仏教の黄帽(こうぼう)派(ゲルク派)の四大本山の一つ。チベットの南東部、首都ラサの北3キロメートルの山麓(さんろく)部にある。正式な寺名はテク・チェン・リンtheg chen gli大乗寺)という。黄帽派の開祖ツォンカパの高弟ジャムツェン・チョエジェbyams chen chos rjeによって1417年に建立。学問寺としてはチベットにおいても最大規模のものの一つで、顕教(一般に大乗仏教)の学部二つ、密教の学部一つの合計3学部を擁し、かつては学僧5000余人が居住していた。ラサのダライ・ラマの宮殿ポタラ宮を補佐し、官寺としての性格が強かったためもあり、1951年3月中国軍・官による弾圧とそれに対する反乱により寺域は破壊され、僧徒の多くが、ダライ・ラマに従ってインドへ逃亡した。

[金岡秀友]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セラ寺」の意味・わかりやすい解説

セラ寺
セラじ
Se ra

中国チベット自治区ラサ北郊にあるチベット仏教黄帽派四大僧院の1つ。ツォンカパ名代として明朝を訪れた大慈法王シャーキャ・イェシェー (1354~1435) によって 1419年に創建。3つの顕教学堂と1つのタントラ道場をもち,ダライ・ラマ2世以来その直轄僧院となった。ここには河口慧海多田等観が留学した。

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