タミル問題(読み)タミルもんだい

百科事典マイペディア 「タミル問題」の意味・わかりやすい解説

タミル問題【タミルもんだい】

歴史的にタミル問題とは,1890年代から1930年代のドラビダ民族自尊運動,1960年代から1970年代のタミル地域自決運動,1970年代から今日のスリランカ北部でのタミル分離独立運動をいう。これらは,タミル人の文化と民族の主体性を追求する運動である。今日のタミル問題は,スリランカの総人口の17%を占めるタミル人が,多数派の仏教徒シンハラ人の優先策(シンハラ語の公用語化などのシンハラ・オンリー政策)に反発したことが原因。1976年以降タミル人の国〈タミル・イーラム〉分離独立を求め,大規模暴動を発生させた。その後,過激派〈タミル・イーラム解放の虎(LTTE)〉と,シンハラ人中心の政府軍との武力対決に拡大した。1987年にはインド・スリランカ合意が成立,インド平和維持軍が派遣された。一方これに反発するシンハラ人過激派〈スリランカ人民解放戦線(JVP)〉は,テロ活動を激化させた。1988年12月当選のプレマダサ大統領はLTTEと直接交渉し,JVPのテロも沈静化させたが,1990年に戦闘が再開され,インド軍は撤退。1991年にはR.ガンディー元インド首相,1993年5月にはプレマダサ大統領がLTTEとみられるテロで殺害された。1995年1月にも停戦協定が結ばれたが,LTTEによる停戦違反は続き,政府軍もLTTEの拠点であるジャフナ半島への総攻撃を続行した。この紛争の間,多くのタミル難民を生じさせる事態となった。2000年4月からLTTEがジャフナ半島で攻勢に出て,政府は戦時体制を取ってきたが,2002年2月に停戦に合意し,同年9月から和平交渉が始まった。しかし,2004年スリランカの政権交代以後,状況は悪化している。
→関連項目アジアジャフナスリランカバンダラナイケ南アジア

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