改訂新版 世界大百科事典 「チャンフーダロ」の意味・わかりやすい解説
チャンフー・ダロ
Chanhu daro
パキスタンのシンド州ナワーブシャー地区のサクランド近傍にあり,インダス文明都市期ほかの古代文化が検出された遺跡。チャヌフー・ダロとも呼ぶ。インダス左岸から約20km,モヘンジョ・ダロから南120kmほどに位置し,氾濫の浸食によりいま3丘にわかれている。1931年に発見,35-36年にE.H.マッケイが発掘。地下水位以下にも文化層が続くが,発掘はおこなわれていない。判明した文化層はインダス文明都市期の文化とその上に重なるジューカル文化,ジャンガル文化である。第Ⅱ丘では,大規模な洪水が2回ここを破壊し,そのつどあらたなプランで建設されたことが確認された。中でも,第2回の建設のとき広範囲にわたる日乾煉瓦積みの基床をつくり,洪水対策がなされた。その上に小路と直交する約8m幅の大通りがあり,建物が集中する。精巧な床下煙道を備えた工房区があり,ビーズ加工の工房もある。最後の時期は建物の壁が脈絡なく散在し,末期様相を示す。この時代の層の上にある時期を経てジューカル文化層がある。建物にはインダス文明時代の焼煉瓦を再利用し,黒・赤2彩の幾何学文を主にする彩文土器を用いた。これはインダス文明時代のものに比べ,つくり・胎土の点で劣る。ただ,陶製あるいはファイアンス製のボタン状の印章があらわれ,また元来インダス流域のものでない,柄着装用の孔をもった青銅斧や双頭の渦巻をつけた青銅針または銅針もみられる。これらは前2千年紀初頭における北部イランから南部トルクメニスタン地方の文化と関係がある。この文化の上にのるジャンガル文化層から建物は発見されなかったが,ろくろを使わない刻文の灰黒色土器が主体で,赤色土器はない。このほか,チャンフー・ダロでは時期も性格も未詳のトリフニー文化といわれる土器文化も認められ,インダス下流域におけるインダス文明崩壊後の歴史を知るうえできわめて重要な遺跡である。
執筆者:桑山 正進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報