モヘンジョダロ(英語表記)Mohenjo daro

デジタル大辞泉 「モヘンジョダロ」の意味・読み・例文・類語

モヘンジョ‐ダロ(Mohenjo-daro)

パキスタン南東部、シンド州インダス川下流にあるインダス文明の代表的都市遺跡。1922年に発見された。前3000年~前2000年に栄えた都市で、丘陵上に位置し、整然とした道路区画され、下水道を整え、建築物には焼成れんがを多用。また、貴金属・印章彩文土器青銅器なども出土。1980年、世界遺産文化遺産)に登録された。モヘンジョダーロ。モエンジョダロ。

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改訂新版 世界大百科事典 「モヘンジョダロ」の意味・わかりやすい解説

モヘンジョ・ダロ
Mohenjo daro

パキスタンのシンド州ラールカナの南36kmにあるインダス文明都市期最大の都市遺跡。モエンジョ・ダーロとも呼ばれる。1922年にバネルジーR.D.Banerjiがハラッパーと同じ遺物を発見したことにより注目され,22-27年にはJ.マーシャルが,27-31年にはE.H.マッケイが大規模に発掘し,遺跡の性格を明らかにした。50,65年にも小規模な発掘があったが,地下水位が異常に高く,自然層はおろか,地表下5m以下の遺構状態は全く不明であり,この都市の歴史のごく一部しか判明していない。他のインダス文明の都市と同じく,東に市街,西に城塞をおく計画都市といわれ,両者間に約200mの空隙がある。市街地南西隅で市壁の一部が検出された以外は,たび重なるインダスの氾濫により周辺部は崩壊し,そのため正確には城塞・市街の範囲を認めがたいが,市街は城塞の12倍の面積を示す。城塞は,マーシャルによると,大きく3時期の建築期があり,南部が高さ約5~6m,北部が約10~12mで,北部には3~4世紀の仏教寺院跡もある。日乾煉瓦と土泥から成る城塞の築壇は,2回目の建築期(最盛期)につくられた。その上には,プール状の沐浴場を中庭に,東に列室,北に列柱をもつ広間などから成る大建造物(南北170m,東西110m),その三方を通路を隔てて囲む長方形大建築がまずつくられ,のちに沐浴場建物の南西に接するように穀物倉が造営された。南部には,会堂と名づけられた建物等があり,南東隅に要塞,南西部に突角堡とみられる遺構がある。市街地は4区域で発掘がおこなわれ,その結果,東西南北各2本の直線道路が推定され,小路がこれと直交している。住宅は城塞の建物と同じく,焼煉瓦を構造材とし,2室から数十室に及ぶものがあり,戸口はみな小路に開く。住宅の間には社らしい平面形をもつ区画もあるが,市街の特色は室内の井戸,水使用の室やここより大通りの本溝に向かう排水の溝管が整備されている点である。特異な三角形小陶板がこの溝中から多数出土する。城塞・市街を問わず,〈祭司像〉などの石製男子像9,青銅女性像2,テラコッタ製女性・動物像多数,凍石製印章1232個が出土。陶板はカーリーバンガンの祭祀場で出土したので,ここの陶板も祭具と考えられ,井戸や排水溝も水による浄化・潔斎などの祭式用施設である。従来この都市の焼煉瓦建築やその他の特色はインダス文明全体に見られるものとされてきたが,モヘンジョ・ダロもインダス文明の一形式にすぎない。
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百科事典マイペディア 「モヘンジョダロ」の意味・わかりやすい解説

モヘンジョ・ダロ

ハラッパーと並ぶインダス文明の代表的都市遺跡で,パキスタンのシンド州にある。1922年発見され,R.D.バネルジー,J.マーシャルらが発掘。規模は,河川によって破壊された外縁部を除いて約1.6km四方と推定され,市街には東西・南北に大通りが走り,下水溝が通じ,整然とした都市計画の跡が認められる。住宅は煉瓦造で,多く浴場,井戸をもつ。他に大浴場や集会所などの公共建築もある。遺物には,素文・彩文の土器(多くろくろ製で,(うわぐすり)をかけたものもある),銅器,青銅器,金属製の装身具,人物・動物を表した泥像などのほか,おもに方形の印章が多数ある。これに書かれた絵文字は未解読(インダス文字)。1980年,世界文化遺産に登録。
→関連項目シンド[州]チャンフー・ダロマーシャル

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旺文社世界史事典 三訂版 「モヘンジョダロ」の解説

モヘンジョ−ダロ
Mohenjo-Daro

インダス川下流のシンド地方に栄えたインダス文明の都市遺跡
「死者の丘」の意味で,1920年代より発掘。縦横に整然と走る街路,レンガを使った公共施設(沐浴場・下水道)や住宅などが残っている。麦・なつめやしを栽培し,牛・羊・やぎを飼い,青銅器・彩色土器・象形文字(未解読)を使用していた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モヘンジョダロ」の解説

モヘンジョ・ダロ

モエンジョ・ダーロ

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世界大百科事典(旧版)内のモヘンジョダロの言及

【インダス文明】より

…インダス川流域を中心に前2300‐前2000年ごろ最盛期をむかえたインドの古代文明。1920年ハラッパーがサハニD.R.Sahaniにより,ついでモヘンジョ・ダロがバネルジーR.D.Banerjiにより発見され,22‐27年にマーシャルJ.Marshallが,27‐31年にマッケーE.J.H.Mackayがモヘンジョ・ダロを,また33‐34年にバッツM.S.Vatsがハラッパーを発掘した。
[王宮・王墓を欠く文明]
 遺跡分布の最大限は,東はデリー付近,西はアラビア海沿岸のイラン国境付近,南はボンベイの北200km,北はシムラ丘陵南端に及び,オクサス河岸にも1ヵ所ある。…

※「モヘンジョダロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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