現代外国人名録2016 「チョン・ドゥファン」の解説
チョン・ドゥファン
全 斗煥
Chun Doo-hwan
- 職業・肩書
- 政治家,元軍人 元韓国大統領
- 国籍
- 韓国
- 生年月日
- 1931年1月18日
- 出生地
- 朝鮮・慶尚南道陜川(韓国)
- 別名
- 雅号=日海
- 学歴
- 韓国陸軍士官学校(第11期)〔1955年〕卒,韓国陸大〔1965年〕卒
- 勲章褒章
- 武功勲章(花郎,忠武,乙支), 米国銅星勲章, 太極武功勲章
- 経歴
- 1955年韓国陸軍少尉として任官。’63年中央情報部人事課長。’70年南ベトナム派兵白馬部隊連隊長、’78年1月第1師団長。朴正熙大統領に重用され、’79年3月国軍保安司令官。同年10月朴大統領暗殺事件で戒厳司令部合同捜査本部長となり、12月の“粛軍クーデター”を指揮して軍の実権を握る。’80年国家保衛非常対策委常任委員長として非常戒厳令を発し、金大中、金鍾泌ら有力政治家を逮捕もしくは追放し(5.17クーデター)、光州事件を武力弾圧。同年8月陸軍大将に昇進し、予備役編入。同年9月選挙により第11代大統領に就任。10月新憲法を公布し、第5共和国が発足した。’81年民主正義党総裁、第12代大統領。’84年9月韓国大統領として初めて日本を公式訪問し、昭和天皇と会見した。’88年2月の大統領選には出馬せず、同年11月自らの政権下の不正と親族の不正を国民に謝罪、財産を国に返納し、江原道の山寺・百潭寺に隠退した。’90年末、盧泰愚大統領の意向で下山し、ソウル市の自宅に戻る。’95年12月、’79年の“粛軍クーデター”から’80年5月の“光州事件”に至る一連の事件に関して軍刑法上の反乱首謀罪など6つの容疑で逮捕、起訴される。’96年1月大統領在任中の収賄、刑法の内乱罪などで追起訴される。8月粛軍クーデターは軍内乱、光州事件は内乱と認定され、軍反乱罪、内乱罪などに対して死刑、収賄事件に関しては追徴金2259億ウォンの実刑判決が下された。12月の控訴審では無期懲役に減刑された。’97年4月韓国大法院は上告を棄却、内乱罪に対しては無期懲役、収賄罪に対しては追徴金2205億ウォンが確定した。同年12月特別赦免により釈放される。1999年、15年ぶりに来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報