改訂新版 世界大百科事典 「テーヨ」の意味・わかりやすい解説
テーヨ
Julio César Tello
生没年:1880-1947
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,インカ帝国は,1532年F.ピサロを筆頭にしたスペイン人によって征服され,それとともにアンデス文明の歴史も終わる。インカ文明 アンデス文明の研究は19世紀末のドイツ人マックス・ウーレ,20世紀前半のペルー人J.C.テーヨによって本格的な学問研究の軌道にのせられた。テーヨは,チャビン,コトシュ,パラカスなどの諸文化の重要性を明らかにし,のちに国立人類学考古学博物館を創設し,研究と遺物保存の中心的機関とした。…
…最も重要なものは最下層の土器を伴わない神殿遺構群で,階段で結ばれるテラスに独立して建てられ,なかでもシンボリックな〈交差した手〉の男女対のレリーフを壁龕(へきがん)に飾った9m×9m×2mの主神殿はミト文化と命名され,すでに世界に知られている。中央アンデス文化史上で,三つの節目をなすチャビン,ティアワナコ,インカの3文化の最初であるチャビン文化(前900年ころ)の生成に関連して,ペルー考古学の父J.C.テーヨはすでにコトシュ遺跡の重要性を説いていたが,泉靖一を団長とする東京大学アンデス地帯学術調査団は1960,63年の2回,大規模発掘調査を行い,予測を実証するとともに先行する無土器神殿文化(ミト文化)の存在を新しく確認した。この新知見はアンデス文明の起源を解明するうえで欠かすことのできない重要なものとなっている。…
…ペルーの中部山岳地帯を中核に,北部から中部にかけて広がりをもち,さらに南部にまで影響を及ぼした前900‐前100年ころの,宗教性の強い文化。ペルー考古学の父J.C.テーヨが〈アンデス文明の母体〉であると重要性を指摘してきた。テーヨはこの文化の起源をアマゾン熱帯密林地帯に求める説を出したが,他説もありまだ解決されていない。…
※「テーヨ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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