デュケノア(その他表記)Frans Duquesnoy

改訂新版 世界大百科事典 「デュケノア」の意味・わかりやすい解説

デュケノア
Frans Duquesnoy
生没年:1597-1643

フランドルバロック彫刻を担う重要な一族の一人で,父も弟も彫刻家。ネーデルラント総督アルベルト大公の援助ルーベンスのすすめで1618年以後ローマに滞在し,古代彫刻を模刻する。同地でプッサン親しみ,ともにティツィアーノの絵画を学ぶ。サン・ピエトロ大聖堂の青銅製天蓋(1627-28)を作るベルニーニに協力したほか,教皇ウルバヌス8世から数多くの注文をうける。ルイ13世から〈王の彫刻家〉という称号を受けるためパリへ向かう途上客死。彼の作品には古代ギリシア彫刻風の様式(《スザンナ》)と開放的でダイナミックな様式(《アンドレア》)の二つの方向がある。しかし同時代の彫刻家に,より大きな影響を与えたのは,ジョバンニ・ダ・ボローニャを思わせる小ブロンズ彫刻(とくに童子(プット)シリーズ)で18世紀の数多くのコピーと真作を区別するのは難しいといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュケノア」の意味・わかりやすい解説

デュケノア
Duquesnoy, François

[生]1594/1597. ブリュッセル
[没]1643.7.12. イタリア,リボルノ
フランドル出身のローマで活躍した彫刻家。通称 Il Fiammingoまたは François Flamand。彫刻家の家系に生れ,父のジェローム・デュケノアに彫刻を学ぶ。スペインのフェリペ4世の宮廷で活躍した弟のジェローム・デュケノアも著名。 1618年ローマに行き G.ベルニーニや N.プーサンと友人になる。彼の作風には前者のイタリア・バロックの作風と,後者の 17世紀の古典主義の作風との融合がみられる。代表作『聖アンデレ』 (1628~40,サン・ピエトロ大聖堂) ,『聖女スザンナ』 (29~33,ローマ,サンタ・マリア・ディ・ロレト) 。

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世界大百科事典(旧版)内のデュケノアの言及

【バロック美術】より

…彼らに画家ピエトロ・ダ・コルトナが協力して作り上げたバルベリーニ宮殿大広間は盛期バロックの代表作である。ベルニーニに続くすぐれた芸術家としては,彫刻家アルガルディ,デュケノア(フランドル出身)などがあり,彼らはまた名人芸をもつインテリア・デザイナーや金工家らと協力して,スタッコや金めっきを駆使した絢爛豪華なバロック的空間を創出した。このようなバロック的空間の究極の例は,バチッチアおよびポッツォによるイリュージョニスティックな大天井画である(イル・ジェスー教会など)。…

【フランドル美術】より

…またローマには,風俗画や風景画を専門とするフランドル出身の画家のコロニーができていた。彫刻においてもこの時代のフランドルを代表するのは,ローマでベルニーニに対抗して活躍したF.デュケノアと,イタリア滞在後アムステルダム市庁舎の装飾を担当したクエリヌスArtus Quellinus(1609‐68)である。なお土着的彫刻としては,樹木,岩山,人物などを小舞台のように構成した木彫説教壇が興味深い。…

※「デュケノア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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