デュコマン(読み)でゅこまん(その他表記)Élie Ducommun

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュコマン」の意味・わかりやすい解説

デュコマン
でゅこまん
Élie Ducommun
(1833―1906)

スイスジャーナリスト、平和運動家。時計職人の息子としてジュネーブに生まれる。中等教育終了後、公立学校のドイツ語教師となったが、『ジュネーブ評論』Revue de Genèveで編集者となり、1865年にベルンに移り、急進的な雑誌『進歩Der Fortschritt創刊、そのほかヨーロッパ合衆国Les États-Unis d'Europeの編集に携わった。また、1875年から1903年までジュラ・ベルン・ルツェルン鉄道の事務総長も務めた。

 1891年に国際平和局International Peace Bureauの設立に同意すると、多忙のなか、できる限り平和運動に時間をさいた。国際平和局の発足から死ぬまで無報酬で局長を務め、世界各地の平和運動への援助、平和会議の開催、さらには文献の保管など、平和活動に全力をつくした。この業績により、スイスの政治家ゴバとともに1902年のノーベル平和賞受賞した。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュコマン」の意味・わかりやすい解説

デュコマン
Ducommun, Élie

[生]1833.2.19. スイス,ジュネーブ
[没]1906.12.7. スイス,ベルン
スイスの作家,編集者。ジュネーブとベルンで新聞・雑誌の編集者として働いたのちは,もっぱらジュラ・シンプロン鉄道の幹部として職業生活をおくったが,引退後は平和活動に捧げた。 1867年設立の国際平和自由同盟の機関誌『ヨーロッパ国家連合』の編集を担当,89年パリで開催された第1回国際平和会議に出席した。 91年常設国際平和局 (IPB) がベルンに設立されたのを機に名誉事務局長に就任。 95年以降,同局の会報を出版するとともに,平和運動に関する多数の著作をなした。おもな著書は『平和についての作品』 (1893) 。 IPBでの活動に対し,A.ゴバと共同で 1902年ノーベル平和賞を受賞。

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百科事典マイペディア 「デュコマン」の意味・わかりやすい解説

デュコマン

スイスの著述家,平和運動家。国際平和同盟中央委員,国際平和局局長を歴任。1902年ゴバとともにノーベル平和賞。

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