フランスの政治学者、歴史家、政治家。ノルマンディーの由緒ある貴族の生まれで、1827~1830年にベルサイユ裁判所の陪席判事を務めた。自由主義思想の持ち主であり、ルイ・フィリップ(市民王)の王政を容認した。1831~1832年にかけて約9か月間、アメリカ行刑制度の視察のかたわら北アメリカを遊歴し、帰国後『アメリカにおけるデモクラシー』De la Démocratie en Amérique2巻(1835、1840)を発表した。この著作は、近代世界の趨勢(すうせい)であるデモクラシー、とくに平等化の進展を政治・社会・文化に及ぼす影響の観点から論述したもので、その分析と洞察力によって今日の「大衆社会」の出現を予言している。この著作によって「19世紀のモンテスキュー」と評価された。1839年下院議員に当選し、二月革命後制憲議会議員、ついで立法議会議員となり、1849年にはバロー内閣の外相を短期間務めた。七月王朝期の議員活動では奴隷制廃止問題やアルジェリア植民地問題への取り組みが目だつ。1851年12月ルイ・ナポレオンのクーデターに反対して逮捕・投獄され、以後政界を退き歴史研究に専念した。1850~1851年に議会活動を回顧した『回想録』Souvenirsを書いたが、そこには同時代の政治家たちの多彩な活動が浮き彫りにされており史料的価値が高い。歴史著作『旧制度と革命』L'Ancien Régime et la Révolution(1856)では、革命はルイ14世以降の専制政治の帰結としてとらえられ、したがって政治生活での「自由の精神」の不可欠性が強調された。この著作の根底にはナポレオン3世の独裁制への批判があった。結核のため転地療養先のカンヌで没した。
[中谷 猛]
『トクヴィル著、井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治』上中下(講談社学術文庫)』
フランス,ノルマンディーの貴族出身の政治学者,政治家,歴史家。1827年彼はベルサイユ裁判所陪席判事に就任した。一門の正統王朝支持に反して七月王政を容認した自由主義者。31年ボーモンG.de Beaumontと共にアメリカ行刑制度の視察に出発,約9ヵ月間北アメリカ各地を旅行し,帰国後《アメリカのデモクラシー》2巻(1835,40)の著作で〈19世紀のモンテスキュー〉の評価を得て,J.S.ミルとも交流する。この著作では近代デモクラシー(平等化)社会の趨勢が歴史的必然としてとらえられ,この平等化現象の政治・社会・文化に及ぼす否定的影響(個人主義や政治的無関心など)が自由の観念との関連で分析された。この分析は今日の大衆社会の病理現象を先取りしたものといえる。39年下院議員に当選し,二月革命後制憲議会議員,次いで立法議会議員となり,49年には短期間バロ内閣の外相を務めた。51年12月ルイ・ナポレオンのクーデタに反対して逮捕され,以後政界を退き歴史研究に専念した。《旧制度と革命》(1856)ではフランス革命をルイ14世以降の専制政治の帰結としてとらえ,政治生活での〈自由の精神〉の必要性を強調すると同時に,行政的中央集権制のもたらす画一的支配を批判した。50-51年執筆の議会活動の《回想録》は有名である。《自由原論》(1868)として翻訳されたアメリカ・デモクラシー論は福沢諭吉らにも注目された。
執筆者:中谷 猛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…アメリカの政治学者C.A.ビアードが,アメリカ連邦憲法の制定過程を検討して,この憲法がさまざまな経済利益間の競合・妥協の産物であると論じたのも,ゆえなしとしない。その後のアメリカにおける圧力団体の発展はますます目覚ましく,19世紀の30年代にアメリカを視察したトックビルが,〈世界中でアメリカにおけるほど,結社の原理が,多数の異なった目的に対して,成功的に用いられ,あるいは惜しみなく適用されてきた国はない〉(《アメリカの民主主義》1835‐40)と賛嘆したことは有名である。実際,pressure group(圧力団体)という用語自体も1920年代にアメリカで使用されはじめてから一般に広まったのであり,また圧力団体研究にしても,アメリカの政治学者A.F.ベントリーの《政治の過程The Process of Government:a Study of Social Pressure》(1908)に始まり,D.B.トルーマンの《政治過程The Governmental Process》(1951)を経て,現代政治学における主要研究分野の一つとして確立したのであった。…
…個人という語の起源は古い。しかしトックビルによれば,アンシャン・レジームの時代には,個人は集団から十分に解放されておらず,したがって単独の個人を前提とする個人主義という造語は,フランス革命以後の近代になって初めて用いられるようになったのである。個人主義という語には多様な意味が与えられているが,どの場合にも含まれている成分として,人間の尊厳と自己決定という二つの要素を挙げることができる。…
…《コモン・センス》(1776)を書いてアメリカ人に独立の意義を教えたイギリスの急進主義者T.ペインが,《人間の権利》(1791‐92)の中で,アメリカの代表制こそ,アテナイの民主主義を大規模社会で,しかもより完全に実現させた,まさに共和主義の真髄である,と手放しに賞賛できたのもこのためである。
[ジャクソニアン・デモクラシーとトックビル]
19世紀に入りアメリカでは,〈共和主義の宮廷〉という言葉に象徴される東部共和主義文化の貴族主義化があり,これに対して,独立農民の立場から,アメリカの理念の再純化としてrepublican democracyまたはdemocracyが新たに唱えられ,1828年大統領選挙におけるA.ジャクソンの圧勝とともに,〈ジャクソニアン・デモクラシーJacksonian Democracy〉の時代を迎える。この時代に,宗教的立場のいかんを問わない白人成年男子普通選挙制が,従来の西部各州から全国に拡大され,参加と自治の原理がさらに確立された。…
※「トックビル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新