トルクメン族(読み)トルクメンぞく(その他表記)Turkmen

翻訳|Turkmen

改訂新版 世界大百科事典 「トルクメン族」の意味・わかりやすい解説

トルクメン族 (トルクメンぞく)
Turkmen

中央アジア,西アジアのトルコ系民族集団の呼称。歴史的にはペルシア語でトゥルクマーントルコマーンTurkmānと呼ばれる。イスラム史料には10世紀から現れる。11世紀のマフムード・カシュガリーは,呼称の語源を,〈トルコ人に似たもの(トゥルク・マーナンド)〉であると説明している。現代では,〈敬虔なトルコ人(トゥルク・イマーン)〉に由来するという説や,トゥルクに強意の接尾辞を付けた〈まぎれもなきトルコ人〉との意味であるとする説がある。

 歴史史料の中には,同一の集団をグズオグズ)と呼ぶものも,トゥルクマーンと呼ぶものもある。また,グズ,カルルクの双方をトゥルクマーンと総称するものもある。一般的には,グズのうち,ムスリムとなってイスラム世界に進出し,マムルーク(奴隷軍人)としてではなく,部族集団の形を保持していたものをトゥルクマーンと呼んでいたと考えられる。

 彼らは,アラル海,カスピ海北方より南下し,11世紀初めのセルジューク朝の成立と前後して,カスピ海東岸や,マー・ワラー・アンナフルを拠点とし,イランを経由して,アゼルバイジャンアナトリアへと移動した。彼らの多くは遊牧民であったが,農耕を行う者もあったらしい。モンゴル侵入に際して西方へ移動した者はさらに多かった。セルジューク朝,ルーム・セルジューク朝やオスマン朝ばかりでなく,カラマン侯国(1250?-1487),カラ・コユンル朝(1375ころ-1469),アク・コユンル朝(1378-1508)などを建国し,アナトリアのトルコ化の原動力となった。

 現在のイラン北東部や中央アジアのトルクメニスタン共和国のトルクメン人人口はイラン約25万,トルクメニスタン約254万(1989))は,カスピ海東部に移住したトルコ系集団に源を発すると考えられるが,中世にトゥルクマーンと呼ばれていた者たちとは直接の関係を求めることは困難で,他種族との混交もみられる。トゥルクマーンとは民族名というよりは,むしろある一時期の歴史的な呼称法と考えるべきであって,この点で現代のトルクメン人とは区別することが必要である。
トルクメン語
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトルクメン族の言及

【住居】より


【総説】
 住居の類語としては,すぐに住宅・住いがあげられる。住宅と住居を比べると,住宅のほうが人間のすみかとしての建物の側面を強く含意する。住い(すまひ)は〈すまふ〉の連用形の名詞化であり,当て字として〈住居〉を用いることがある。つまり住居と住いは一応同義ととらえてよいし,そこには住むという人間の能動的な営み,すなわち人の暮しが浮き出されている。《日本大辞書》(山田美妙著,1892‐93)によると,〈すむ〉には(1)居所を定める〈住む〉,(2)濁りがなくなる〈澄む(あるいは清む)〉,(3)事終わってすべて澄むの〈済む〉があてられており,《岩波古語辞典》では〈すみ(棲み・住み)〉は〈スミ(澄)〉と同根であり,あちこち動きまわるものが,一つ所に落ち着き定着する意とある。…

【トルコ族】より

…そして,10世紀の中ごろにシル・ダリヤ北方の草原地帯で遊牧生活を送り,素朴なシャマニズムを信仰していた〈オグズ〉と総称されるトルコ系部族に属する人びとの一部が,やがて南下して,マー・ワラー・アンナフルに入り,イスラムを受容した。中世のイスラム史料は,これらイスラム化したオグズ族を〈トゥルクマーンTurkmān〉(トルクメン族)とよんだ。彼らはさらに南下し,北東イランのホラーサーンに入ると,マシュハドを中心にセルジューク朝(1038‐1194)を建てた。…

※「トルクメン族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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