ドモフスキ(読み)どもふすき(英語表記)Roman Dmowski

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドモフスキ」の意味・わかりやすい解説

ドモフスキ
どもふすき
Roman Dmowski
(1864―1939)

ポーランドの政治家。ワルシャワ近郊の職人の家に生まれ、ワルシャワ大学卒業後、政治活動を始めた。1897年国民民主党結成、第一次世界大戦初めまでは、ロシア後援によってポーランドの統一自治を実現しようとした。おもに有産階級の支持を集め、反社会主義、反ユダヤ主義スローガンとして、民族主義的な運動を展開した。1904年には来日し、J・ピウスツキらの日本の軍事援助による独立蜂起(ほうき)計画を妨害した。第一次大戦中はポーランド国民委員会を指導し、19年の講和会議でポーランド代表を務めた。独立後は、ピウスツキの政治路線と対立し、ピウスツキのクーデター後は、大ポーランド派を結成し、ピウスツキ体制に反対した。

[安部一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドモフスキ」の意味・わかりやすい解説

ドモフスキ
Dmowski, Roman

[生]1864.8.9. カミオネク
[没]1939.1.2. ドロスドボ
ポーランドの政治家。ワルシャワ大学の学生時代からポーランドの統一,独立運動に参加。第2,第3期デュマ (ロシア帝国議会) 議員となり,国民民主党を指導して自治権獲得を目指したが,1915年のドイツ=オーストリア軍によるポーランド占領後はロシアを離れ,連合国側に立ち完全独立を主張した。 19年 J.K.ピウスツキ政府のパリ平和会議代表としてベルサイユ条約によるポーランド共和国独立承認に尽力。 23年一時外相をつとめたが,その後引退

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