日本大百科全書(ニッポニカ) 「パデレフスキ」の意味・わかりやすい解説
パデレフスキ
ぱでれふすき
Ignacy Jan Paderewski
(1860―1941)
ポーランドの音楽家、政治家。ワルシャワ音楽院卒業。1884~1887年にウィーンに留学後、ヨーロッパ各地で演奏活動を始め、ピアニストとして人気を博した。1913年に渡米し、ポーランド独立運動に従事、第一次世界大戦中は祖国独立を訴えるために義援音楽会を催し、アメリカの世論に影響を与えた。その後フランスに滞在し、パリでは国民民主党に接近したが、1918年に独立後すぐ帰国し、諸党派の調整役を務めた。1919年1月に初代首相に就任したが、パリ平和会議で東ガリツィア(ウクライナ人居住地域)がポーランド領として認められなかったため、同年11月首相を辞任した。音楽家としては、ショパンの研究家として知られ、オペラ『マンル』、交響曲ロ短調、ピアノ曲『メヌエット・ト長調』などを作曲した。
[安部一郎]