朝日日本歴史人物事典 「ニーマン」の解説
ニーマン
生年:1796.2.21
江戸後期のオランダ商館長。アムステルダム生まれ。天保1(1830)年に来日し,同5年から同9年まで出島商館長。蛮社の獄やペリー艦隊来航の契機となったモリソン号事件(1837)の情報を初めて幕府に伝えたことで知られる(「ニイマン秘奏」)。同9年の江戸参府では多くの日本人と懇談,その模様をまとめた渡辺崋山『鴃舌或問』には,地理,医学など広範囲にわたる彼の学識が示されている。ニーマンの経歴,人柄,日本観を記した同『鴃舌小記』によれば,大柄で真率,読書好き,「志は芸学に厚く,仕進に薄」い人物であった。また日本婦人との間に女子をもうけ,養女に出したことが,ハーグ文書館の「加美丹にふまん子おきみ養女取極証文」からわかる。<参考文献>酒井シヅ「蘭館長ニーマンと長崎留学生」(『日本医史学雑誌』12巻1号)
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報