日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネタニヤフ」の意味・わかりやすい解説
ネタニヤフ
ねたにやふ
Benjamin Netaniyahu
(1949― )
イスラエルの外交官、政治家。アメリカのマサチューセッツ工科大学を卒業。アメリカでのコンサルタント会社勤務などを経て、1982年には駐米大使館公使、1984年国連大使、1988年外務次官。1991年にはシャミル内閣の首相府次官に就任。1993年に右派リクード連合指導者に選出され、1996年5月の初めての首相公選で労働党のペレス候補を破り、史上最年少首相に就任。入植地拡大とテロ断絶を掲げたタカ派色を前面に出し、1993年のオスロ合意に基づくパレスチナ側との和平プロセスは新たな困難に直面した。1998年10月アメリカ・クリントン大統領の仲介のもとパレスチナ自治政府アラファト議長との中東和平実施の交渉に入ったが、ヨルダン川西岸入植問題や治安問題をめぐって難航した。しかし、フセイン・ヨルダン国王の斡旋(あっせん)により合意文書(ワイ合意)に調印した。1999年5月の首相公選で労働党のバラク候補に敗れ、首相を退任。2009年2月の総選挙の結果、翌3月ふたたび首相に就任した。
[清水 学]
その後は、ネタニヤフを首相とする連立政権が続くが、2021年3月の総選挙の結果、宗教的右派政党ヤミナ党のベネットNaftali Bennett(1972― )を首班とする連立政権が発足し、通算15年守った首相の座を手放すことになった。
[編集部 2021年10月20日]