ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネッセルローデ」の意味・わかりやすい解説
ネッセルローデ
Nesselrode, Karl Robert (Vasil'evich)
[没]1862.3.23. ペテルブルグ
ロシアの外交官,政治家。伯爵。ドイツ系ロシア外交官の息子。 16歳のときロシア海軍に入るが,1801年より外務省に転じ,プロシア,オランダなどで勤務。 06~07年の対ナポレオン戦争では将軍たちの外交補佐官として活躍。ナポレオンのモスクワ遠征失敗以後は,皇帝アレクサンドル1世の信任を得てロシア外交の指導的人物となり,ロシア全権としてウィーン会議 (1814~15) ,その他の諸会議に出席。 16年より外相。オーストリア,プロシアと接近し,メッテルニヒとともに,ヨーロッパにおける革命運動弾圧を目指す反動化路線を推進。ニコライ1世即位後は,第1次トルコ=エジプト戦争 (31~33) の敗北に悩むトルコとウンキャルスケレッシ条約を結んで,バルカン,近東への勢力拡大を目指したが,イギリスの反対にあい,代りにイギリスのイニシアチブのもとに,40~41年ボスポラス,ダーダネルス両海峡に関する国際協定 (ロンドン協定) を結ぶことを余儀なくされた。 48年ハンガリーに革命が起ると,翌年オーストリアを助けて革命を鎮圧,その成功に勢いづいて再びバルカンをめぐって活発な行動を開始したが,イギリス,フランスの反発を受けて孤立し,クリミア戦争を引起した。敗戦後の 56年パリ講和条約に調印したのち外相を辞任。
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