ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネマーニヤ朝」の意味・わかりやすい解説 ネマーニヤ朝ネマーニヤちょうNemanjići 12~14世紀のセルビア王朝。開祖は大ジュパーンを名のったラシュカ地方の土豪ステファン・ネマーニヤ (在位 1168?~96) 。その子ステファン・プルボベンチャニ (在位 96~1223) の代にローマ教皇ホノリウス3世から王号を許された (17) 。その弟サーバ (1174~1235) は 1219年初代セルビア大主教となり,兄にローマ教会との関係を破棄させ,あらためてギリシア正教会から王号を授与され,他方ニカイア帝国皇帝にセルビア教会の独立を承認させた。死後聖化され,王朝と国家の守護聖人となった。ステファン・ウロシュ1世 (在位 43~76) の代に初めてボスニアとフム (ヘルツェゴビナ) を除くセルビア全土の統一が実現。その子ドラグティン (在位 76~82) ,ウロシュ2世ミルティン (在位 82~1321) はハンガリーと結んでマケドニアを征服,さらにウロシュ3世デチャンスキ (在位 22~31) は 1330年ビザンチン帝国と同盟したブルガリアを破り,バルダル川流域を獲得。こうした征服事業を背景にステファン・ドゥシャン (在位 31~46) がバルカン半島のほぼ全域にわたる大国家を建設。 46年「セルビア人とギリシア人の皇帝」として戴冠した。しかしその死後,内紛とオスマン帝国の侵攻によって弱体化。 71年第 10代ウロシュ5世 (在位 55~71) をもって断絶した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by