ノイエ・ツァイト(読み)のいえつぁいと(その他表記)Die Neue Zeit ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノイエ・ツァイト」の意味・わかりやすい解説

ノイエ・ツァイト
のいえつぁいと
Die Neue Zeit ドイツ語

ドイツ社会民主党の理論誌。マルクス主義啓蒙(けいもう)と普及を目的として、1883年1月、シュトゥットガルトで創刊され、1890年10月までは月刊、それ以後、1923年8月までは週刊の雑誌として発行された。創刊当初からカウツキーが編集にあたり、エンゲルスが編集部に注文をつけつつ多くの論文を寄稿したほかマルクスの論文も掲載されたので、雑誌の性格はほぼマルクス主義によって貫かれていた。しかしエンゲルスの死後はしだいにマルクス主義中央派の立場を反映するようになり、さらに1917年、カウツキーにかわってクノーHeinrich Cunow(1862―1936)が編集を受け継いでからは、マルクス主義の性格は完全に失われた。1923年、同誌は経済的理由によって発行を停止した。

[松 俊夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノイエ・ツァイト」の意味・わかりやすい解説

ノイエ・ツァイト
Die Neue Zeit

1883年 K.カウツキーによって創刊されたドイツ社会民主党の理論的機関誌。『新時代』の意。社会主義者鎮圧法下のドイツ社会主義運動に貢献し,正統派マルクス主義理論の展開の場として重要な役割を果した。カウツキー起草のエルフルト綱領草案へのエンゲルスの回答発表,E.ベルンシュタインによる修正主義論の展開は有名である。

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世界大百科事典(旧版)内のノイエ・ツァイトの言及

【カウツキー】より

…1875年,オーストリア社会民主党に入党。83年,ドイツ社会民主党系の理論誌《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit》を創刊,1917年まで編集に当たった。1890年ドイツに移り,エルフルト綱領の作成に関与,その《解説》(1892),《農業問題》(1899)を執筆,同党および第二インターナショナルの指導的存在となる。…

【ドイツ社会民主党】より

…05年から始まった中央集権的な組織の整備とともに,12年には397の選挙区のすべてに党組織が存在するに至り,12年の帝国議会選挙では,得票率34.8%,議席397中110を獲得して第一党となった。中央機関紙の《フォアウェルツVorwärts(前進)》(1914年の予約購読者数16万)をはじめ,各地に機関紙があり(1913年には90の日刊紙),理論機関誌《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit(新時代)》(1883年創刊,1917年までカウツキーの編集)は1911年に発行部数1万を超えた。また,1890年に実質的に発足した〈自由労働組合Freie Gewerkschaften〉は,社会民主党と密接な関係を保ちつつ,中央集権的・産業別組織に成長し,1913年には250万人を擁するまでになった。…

※「ノイエ・ツァイト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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