日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハビビ」の意味・わかりやすい解説
ハビビ
はびび
Bacharuddin J. Habibie
(1936―2019)
インドネシアの政治家、第3代大統領。1936年南スラウェシ州パレパレ生まれ。イスラム教徒。1960年旧西ドイツのアーヘン工科大学航空工学科を卒業、同大学助手となる。1965年インドネシア人として初めて航空工学分野の博士号を取得。1966年航空機製造メーカーのメッサーシュミット社に入社、1974年同社技術応用部長・副社長に昇進。同年、少年時代から旧知であった当時大統領のスハルトの要請で帰国、大統領顧問(技術・航空担当)に就任。1978年に43歳の若さでスハルト政権(第三次開発内閣)の研究技術担当国務相として入閣、以後1998年まで一貫して同職にとどまる。
1997年のタイ通貨・金融危機に端を発する経済危機がインドネシアに波及し、経済破綻(はたん)が進行しつつあった1998年3月、ハビビは副大統領に就任。32年に及ぶスハルトの強権支配と体制の腐敗に対する国民の怒りは経済不況によってさらに増幅され、首都ジャカルタなど各地で反スハルト暴動が起こった。このため、5月21日スハルトはついに大統領辞任を余儀なくされ、憲法の条文にしたがって副大統領のハビビが大統領職を襲った。
大統領に就任したハビビは、国民の憤懣(ふんまん)と切望とをくみあげ、スハルト流「開発独裁」体制からの脱却を図った。また、国内の安定と改革をアピールして国際的信用を回復し、インドネシア経済危機を脱するという困難な課題を抱えることになった。このうち、民主的改革という側面では、複数政党制による自由な総選挙の実施、報道の自由の尊重、東チモール独立の是非を問う住民投票の実施など、それまでのインドネシアでは考えられなかった実績をあげた。
しかし、長期にわたる東チモール問題へのあまりにも性急なハビビの対応に治安は悪化。加えてバリ銀行をめぐる政治資金汚職疑惑などの失政の責任を問われ、1999年10月に行われた大統領選挙への出馬を断念した。
[黒柳米司]