新撰 芸能人物事典 明治~平成 「ハヤフサ・ヒデト」の解説
ハヤフサ・ヒデト
ハヤフサ ヒデト
- 職業
- 俳優 映画監督
- 本名
- 広瀬 数夫
- 別名
- 別芸名=隼 秀人,ハヤブサ・ヒデト,監督名=八代 哲,八代 毅
- 生年月日
- 明治37年 11月7日
- 出生地
- 広島県 広島市入舟町
- 学歴
- 中学中退
- 経歴
- 大正12年伊太利サーカス団に入り日本人として初の空中飛行に成功。15年日活に入社、隼秀人の芸名で映画「水戸黄門」に出演。昭和3年東亜キネマに移り、約160センチと小柄ながらサーカスの曲芸師出身で柔道の有段者でもあり、スポーツ万能であったことから仁科熊彦監督の怪奇時代劇「慶安妖飛録」の主役に抜擢された。以後「飛竜の嵐」「唐人蝙蝠伝」などに主演するが、4年退社。6年復帰して大江秀夫監督「踊る若者」に出演。以後現代劇に転じて大江とコンビを組み、スタントマンに頼らない派手な活劇で人気を集め、大正期の“鳥人スター”高木新平に対して昭和の“鳥人スター”として活躍、「街の旋風児」「跳躍天国」「空に飛ぶ狼」「摩天楼の顔役」「驀走する与太者」「戦慄の爆音」など数多くの作品に出演した。8年大都映画に移籍、9年ハヤフサ・ヒデトに改名。10年「闇に叫ぶ狼」を大江と共同で監督してからは監督も手がけるようになり、同年「地獄に結ぶ恋」で一本立ちし、監督・主演を務めた。以来、15年に退社するまで約70本の映画に主演、60本の作品を監督した。戦時中は満州映画協会(満映)に所属したが、終戦により帰国。戦後、23年江戸川乱歩原作の「一寸法師」に出演して復帰、24年「怪傑ハリマオ」を監督・主演したが、28年映画界を引退。その後は下関市の映画館支配人やバー経営などに携わった。他の出演に映画「就職戦線」「争闘阿修羅街」「スパイ戦線に躍る」「暁の快速艇」「伊豆の女達」などがある。
- 没年月日
- 平成3年 6月11日 (1991年)
- 家族
- 妻=琴路 美津子(女優)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報