ダヤン(その他表記)Dayan, Moshe

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダヤン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン
Dayan, Moshe

[生]1915.5.20. デガニア
[没]1981.10.16. テルアビブ
イスラエル軍人,政治家。 1936~39年のアラブ人による反ユダヤ活動の高まりの時期に,ユダヤ人の自衛を目的としてイギリス軍人 O.ウィンゲートにより組織された軍事組織に参加。第2次世界大戦中はドイツとイタリアによるパレスチナ侵攻にそなえて組織されたユダヤ軍団パルマーに加わり,レバノン戦線でフランス軍と交戦中,片目を失った。 48年のパレスチナ戦争ではエルサレム戦線司令官。 53~58年イスラエル軍参謀長。 58年軍籍を離れてエルサレムとテルアビブの大学に学び,59年マパイ党から国会議員に当選,D.ベングリオン首相のもとで農相となった。 64年 L.エシュコル首相と対立し,ベングリオンらとともにラフィ党を結成。 67年5月アラブとの緊迫した雰囲気のなかで,国民の要望に支えられて国防相に就任六日戦争で圧倒的勝利をもたらし国民的英雄となった。 73年 10月の戦争では,アラブ側からの先制攻撃を許し,イスラエルがかつてない苦戦を強いられた責任を問われ,74年3月 G.メイヤー内閣の崩壊とともに辞職。落ちた偶像とはいえ,その後も右派勢力からは強い支持を受け,77年イスラエルの総選挙結果,右翼政党のリクード党が政権を握ると外相として復活,79年辞任した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダヤン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン
だやん
Moshe Dayan
(1915―1981)

イスラエルの軍人、政治家。パレスチナのデガニアに生まれ、早くからユダヤ人自衛組織ハガナに参加。パレスチナ戦争では司令官として活躍し、その後のロードス島休戦交渉ではイスラエル代表団長を務める。1953~1958年参謀総長、この間1956年の第二次中東戦争でイスラエル軍を指揮。1958年に退役。1959年にマパイ党から国会議員となり、同年ベン・グリオン内閣に農相として入閣。1966年ベン・グリオンのラフィ党に参加。1967年の第三次中東戦争では国防相として電撃作戦を展開した。しかし、第四次中東戦争の責任をめぐる世論の批判の前に1974年国防相を辞任。その後、1977年ベギン首相のリクード内閣の外相に就任するが、和平交渉をめぐってベギンと対立し1979年10月辞任。自伝『私の生涯』がある。

[伊能武次]

『M・ダヤン著、笈川博一訳『中東和平交渉』(1983・時事通信社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ダヤン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン
Moshe Dayan
生没年:1915-81

イスラエルの軍人,政治家。ロシアから移住したユダヤ人を両親としてイスラエルに生まれた。少年時代からユダヤ軍事組織に参加し,第2次世界大戦では連合軍を先導してシリア戦線で戦い,片目を失った。1948-49年の第1次中東戦争ではエルサレム防衛司令官,53-58年イスラエル軍参謀長を務め,56年の第2次中東戦争ではシナイ半島作戦を指揮した。59年労働党から国会議員となり,59-64年農相。67年の第3次中東戦争の直前に国防相となり,電撃的作戦を成功させた。73年の第4次中東戦争では再度国防相として戦争指導に当たったが,その戦争の不手際の責任を追及されて74年5月辞任。77年6月労働党を離れベギン政権の外相に就任したが,79年10月ベギン首相と意見対立し辞任。81年心臓病のためテルアビブで死去した。
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百科事典マイペディア 「ダヤン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン

イスラエルの軍人,政治家。ロシアからの移住ユダヤ人を両親に,イスラエルで生まれる。第2次世界大戦以前からユダヤ軍事組織に参加,連合国軍をシリア戦線に先導して戦い,負傷して片目を失う。エルサレム防衛司令官として第1次中東戦争(1948年−1949年)を戦い,その後イスラエル軍参謀長に就任,第2次中東戦争(1956年)ではシナイ半島作戦を指揮した。1959年イスラエル労働党から国会議員となり,農相。1967年の第3次中東戦争の直前に国防相に任命され,開戦と同時に電撃作戦を成功させて,一躍,国民的英雄となった。1973年の第4次中東戦争でも再び国防相として戦争指導にあたったが,作戦の不手際を指摘され,1974年5月に辞任した。その後,労働党を離れ,ベギン政権の外相を務めたが,意見対立から1979年辞任した。

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