ハーラル3世(その他表記)Harald Ⅲ Sigurdsson

改訂新版 世界大百科事典 「ハーラル3世」の意味・わかりやすい解説

ハーラル[3世]
Harald Ⅲ Sigurdsson
生没年:1016-66

ノルウェー王。在位1046-66年。苛烈王Hardrådeと呼ばれる。オーラブ2世の異父弟。兄王の敗死後ロシアに亡命コンスタンティノープルでバランギア隊の隊長となる。1046年帰国して甥マグヌス1世と共同の王となり,翌年マグヌスの死によって単独の王となる。国内豪族に対する支配を樹立し,初めて東部山岳地方を王権の支配下におき,オスロ市を建設(1050ころ)。イングランドに侵攻するがヨーク近郊スタンフォード・ブリッジの戦に敗死。この戦いは勝利者である英国王ハロルドにとっても,引き続くヘースティングズの戦における敗因の一つとなった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーラル3世」の意味・わかりやすい解説

ハーラル3世
ハーラルさんせい
Harald III, Hårdrådi

[生]1015
[没]1066.9.25. スタンフォードブリッジ
ノルウェー王 (在位 1046~66) 。オーラフ2世異母弟。オーラフ敗死後ロシアのヤロスラフのもとへ亡命 (30) ,ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルへ渡りバラング隊 (北ヨーロッパ人から成る皇帝親衛隊) の長となった。ノルウェーへ帰り (45) ,マグヌス1世 (善王) と共同統治。デーン人との戦いにマグヌスが戦死し,単独のノルウェー王となった (47) 。イングランドの王位継承問題に介入大軍をもってノーサンブリアに侵入したが,イングランド王ハロルド2世と戦ってスタンフォードブリッジで撃破され敗死。敵に対する無慈悲な扱いによって「苛政王」と呼ばれた。

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