ヘースティングズ(読み)へーすてぃんぐず(英語表記)Warren Hastings

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ(Francis Rawdon, 1st Marquis of Hastings)
へーすてぃんぐず
Francis Rawdon, 1st Marquis of Hastings
(1754―1826)

イギリスの貴族、軍人。初代ヘースティングズ侯、本名はフランシス・ロードン。東インド会社ベンガル総督(在任1813~1823)。初めモイラ伯であったがネパール戦争の功績によりヘースティングズ侯に叙せられた。1817~1818年にはピンダーリー戦争と第三次マラータ戦争に勝利して中央インドからデカンを支配下に置き、1819年にはシンガポールを獲得してイギリスのアジアにおける制海権を強化し、さらにタイ王国と外交交渉を開いた。インドの内政面では、マドラス、ボンベイ両管区の地租制度におけるライーヤトワーリー制度の確立、デリーカルカッタ(現、コルカタ)の都市建設面での改良、出版検閲制の廃止などで知られる。

[高畠 稔]


ヘースティングズ(Warren Hastings)
へーすてぃんぐず
Warren Hastings
(1732―1818)

イギリス東インド会社ベンガル総督(在任1773~1785)。会社の書記生として18歳から貿易実務についた。ベンガル知事、ついで規制法による初代総督として、イギリス人官吏による税務の直接管理、ムガル皇帝への歳幣輸納の停止、アワドへの会社の影響力の浸透、ロヒラ戦争、ベンガルの民事・刑事裁判機構の確立、チベットへの遣使、ワーラーナーシ併合、第一次マラータ戦争、第二次マイソール戦争などを行った。彼の強硬な統治政策は帰国後にバークらに非難され、下院弾劾裁判を受けたが無罪とされた。晩年はインド統治の功績により枢密顧問官となった。

[高畠 稔]


ヘースティングズ(イギリス)
へーすてぃんぐず
Hastings

イギリス、イングランド南東端、イースト・サセックス県の港湾都市。人口8万5027(2001)。ロンドンの南東約100キロメートルに位置し、イギリス海峡に面する。1278年指定のイングランド五港(シンク・ポーツcinque ports)の一つで、11世紀にはその後のイングランドの歴史を変えたとされるヘースティングズの戦いが行われた。温暖な気候と美しい砂浜海岸、白亜の崖(がけ)、遊歩道、公園などに恵まれ、海岸保養都市、住宅都市として発展した。白亜の崖の上にウィリアム征服王時代の城跡がある。

[井内 昇]


ヘースティングズ(ニュージーランド)
へーすてぃんぐず
Hastings

ニュージーランド北島東部の都市。人口6万7425(2001)。ネーピアの南方20キロメートルに位置し、ヘレタウンガ平野の農産物集散地。果樹栽培が盛んで、「ニュージーランドのフルーツ・ボール(果物鉢)」の異名をもつ。1864年に入植が始まる。

[浅黄谷剛寛]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ
Hastings, Warren

[生]1732.12.6. オックスフォードシャー,チャーチル
[没]1818.8.22. オックスフォードシャー,ディルスフォード
イギリスのインド植民地行政官。初代ベンガル総督 (在任 1773~85) 。 1750年,17歳でイギリス東インド会社の書記となってインドに渡り,61年カルカッタの参事会員となり,64年帰国。 69年マドラス参事会の次席参事,72年にはベンガル知事に任命された。 73年の規制法により初代ベンガル総督に昇格し,彼は首都をムルシダーバードからカルカッタに移した。また法律制度や教育面でも改革を行なったが,特に地税徴収の競売請負制を導入し,のちの永代ザミーンダール制の基礎をつくった。さらにロヒラ戦争,第1次マラータ戦争,第1次マイソール戦争を通じてインド支配の拡大,強化をはかった。 85年に退官,帰国したが,議会から在任中の過酷な政策を弾劾され,E.バークや P.フランシスらによって議会でその責任を追及された。下院による弾劾告発 (87) 後,裁判は8年間にわたって続き,結局ヘースティングズの全面的な無罪となって終った。多額の裁判費用を使い経済的窮之に苦しんだが,イギリスのインド支配確立とその維持に貢献した功績により会社から年金を支給された。

ヘースティングズ
Hastings

イギリスイングランド南東部,イーストサセックス県南東部の都市。ヘースティングズ地区を構成する。ロンドンの南東約 90kmにあり,イギリス海峡に臨む。1066年ノルマン・コンクェストの際にヘースティングズの戦いが行なわれたところとして知られる。古くからの港町で,中世にはシンク・ポーツ(五港連盟)の一つとして繁栄。温和な気候と砂浜海岸に恵まれ,海浜保養地として発展している。背後に迫る砂岩の急崖上にはヘースティングズ城址がある。面積 30km2。人口 8万5828(2001)。

ヘースティングズ
Hastings, James

[生]1852
[没]1922.10.15.
スコットランドの長老派牧師,事典編纂者。アバディーンのディビニティ・カレッジに学び,自由教会の牧師となる (1901~11) 。月刊誌"Expository Times"を 1889年に創刊,事典編纂者としても著名である。主著"Dictionary of the Bible" (5巻,1898~1904) ,"Dictionary of Christ and the Gospels" (2巻,06~08) ,"Encyclopaedia of Religion and Ethics" (12巻,08~21) ,"Dictionary of the Apostolic Church" (2巻,15~18) 。

ヘースティングズ(侯)
ヘースティングズ[こう]
Hastings, Francis Rawdon-Hastings, 1st Marquess of

[生]1754.12.9. ダウン
[没]1826.11.28. ナポリ,バイア湾
イギリスの軍人,植民地行政官。 1775~81年アメリカ独立戦争に参加。フランス革命戦争に従軍,1803年陸軍大将に昇進。 13~23年ベンガル総督兼インド軍司令官,14~16年ネパールのグルカ族,17~18年中央インドのピンダリ族,南インドのマラータ同盟とそれぞれ戦い,イギリスの勢力圏拡大に尽力。 19年買収によりシンガポール島をイギリス領とした。インド経略の功により 17年侯爵。晩年はマルタの知事。

ヘースティングズ
Hastings

アメリカ合衆国,ネブラスカ州南部の都市。 1872年入植。広大なコムギ地帯を背景に,コムギ,トウモロコシなどの集散地で,鉄道交通の中心地でもある。食品加工,自動車部品や農機具製造なども盛ん。人口2万 2838 (1990) 。

ヘースティングズ
Hastings

ニュージーランド,ノース島東部,ホーク湾南岸の都市。ネーピアと連合都市を形成する。「ニュージーランドの果物籠」と呼ばれる農牧地帯の集散・加工地。人口5万 5800 (1990推計) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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