ヘースティングズ(読み)へーすてぃんぐず(その他表記)Francis Rawdon, 1st Marquis of Hastings

デジタル大辞泉 「ヘースティングズ」の意味・読み・例文・類語

ヘースティングズ(Hastings)

英国イングランド南東部、イーストサセックス州、イギリス海峡に面する都市。海岸保養地。11世紀、ノルマンディー公ウィリアム1世がイングランド王ハロルド2世を破ってイングランド征服(ノルマンコンクエスト)を成し遂げた「ヘースティングズの戦い」の地として知られる。ヘイスティングズ
ニュージーランド北島東部の都市。19世紀半ばにヨーロッパ人が入植。マオリとヨーロッパ人の間で土地領有をめぐるマオリ戦争の舞台となった。りんご、洋なし、ワイン用のぶどうをはじめ果樹栽培が盛ん。近郊の港湾都市ネーピアとともにワイン産地としても知られる。

ヘースティングズ(Francis Rawdon Hastings)

[1754~1826]英国の軍人。総督兼総司令官として、武力により全インドを支配し、さらにシンガポールを買収するなど、英国のインド・東南アジア支配の強化に尽くした。

ヘースティングズ(Warren Hastings)

[1732~1818]英国の初代ベンガル総督。強硬な統治政策によって英国のインド支配の基礎を固めた。

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精選版 日本国語大辞典 「ヘースティングズ」の意味・読み・例文・類語

ヘースティングズ

  1. [ 一 ] ( 1st Marquis of Hastings, Francis Rowdon ファースト=マーキス=オブ━、フランシス=ロードン ) イギリスの軍人、政治家。アメリカ独立戦争で本国軍として活躍。のちベンガル総督として、イギリスのインド・東南アジアの支配強化に貢献。(一七五四‐一八二六
  2. [ 二 ] ( Warren Hastings ウォーレン━ ) イギリスの政治家。一七七三年初代ベンガル総督に就任。植民地行政の体系化に努めるとともに、ロヒラ戦争、第一次マラータ戦争、第一次マイソール戦争でイギリスのインド支配権の基礎を確立。(一七三二‐一八一八

ヘースティングズ

  1. ( Hastings )
  2. [ 一 ] イギリス、イングランド南東部の都市。イギリス海峡に面する。市の北西約一〇キロメートルのバトルにノルマン朝の成立を決定づけた古戦場がある。
  3. [ 二 ] ニュージーランド、北島の南東部にある港湾都市。
  4. [ 三 ] アメリカ合衆国ネブラスカ州の都市。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ(Francis Rawdon, 1st Marquis of Hastings)
へーすてぃんぐず
Francis Rawdon, 1st Marquis of Hastings
(1754―1826)

イギリスの貴族、軍人。初代ヘースティングズ侯、本名はフランシス・ロードン。東インド会社のベンガル総督(在任1813~1823)。初めモイラ伯であったがネパール戦争の功績によりヘースティングズ侯に叙せられた。1817~1818年にはピンダーリー戦争と第三次マラータ戦争に勝利して中央インドからデカンを支配下に置き、1819年にはシンガポールを獲得してイギリスのアジアにおける制海権を強化し、さらにタイ王国と外交交渉を開いた。インドの内政面では、マドラス、ボンベイ両管区の地租制度におけるライーヤトワーリー制度の確立、デリー、カルカッタ(現、コルカタ)の都市建設面での改良、出版検閲制の廃止などで知られる。

[高畠 稔]


ヘースティングズ(Warren Hastings)
へーすてぃんぐず
Warren Hastings
(1732―1818)

イギリス東インド会社のベンガル総督(在任1773~1785)。会社の書記生として18歳から貿易実務についた。ベンガル知事、ついで規制法による初代総督として、イギリス人官吏による税務の直接管理、ムガル皇帝への歳幣輸納の停止、アワドへの会社の影響力の浸透、ロヒラ戦争、ベンガルの民事・刑事裁判機構の確立、チベットへの遣使、ワーラーナーシ併合、第一次マラータ戦争、第二次マイソール戦争などを行った。彼の強硬な統治政策は帰国後にバークらに非難され、下院で弾劾裁判を受けたが無罪とされた。晩年はインド統治の功績により枢密顧問官となった。

[高畠 稔]


ヘースティングズ(イギリス)
へーすてぃんぐず
Hastings

イギリス、イングランド南東端、イースト・サセックス県の港湾都市。人口8万5027(2001)。ロンドンの南東約100キロメートルに位置し、イギリス海峡に面する。1278年指定のイングランド五港(シンク・ポーツcinque ports)の一つで、11世紀にはその後のイングランドの歴史を変えたとされるヘースティングズの戦いが行われた。温暖な気候と美しい砂浜海岸、白亜の崖(がけ)、遊歩道、公園などに恵まれ、海岸保養都市、住宅都市として発展した。白亜の崖の上にウィリアム征服王時代の城跡がある。

[井内 昇]


ヘースティングズ(ニュージーランド)
へーすてぃんぐず
Hastings

ニュージーランド北島東部の都市。人口6万7425(2001)。ネーピアの南方20キロメートルに位置し、ヘレタウンガ平野の農産物集散地。果樹栽培が盛んで、「ニュージーランドのフルーツ・ボール(果物鉢)」の異名をもつ。1864年に入植が始まる。

[浅黄谷剛寛]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ
Hastings, Warren

[生]1732.12.6. オックスフォードシャー,チャーチル
[没]1818.8.22. オックスフォードシャー,ディルスフォード
イギリスのインド植民地行政官。初代ベンガル総督 (在任 1773~85) 。 1750年,17歳でイギリス東インド会社の書記となってインドに渡り,61年カルカッタの参事会員となり,64年帰国。 69年マドラス参事会の次席参事,72年にはベンガル知事に任命された。 73年の規制法により初代ベンガル総督に昇格し,彼は首都をムルシダーバードからカルカッタに移した。また法律制度や教育面でも改革を行なったが,特に地税徴収の競売請負制を導入し,のちの永代ザミーンダール制の基礎をつくった。さらにロヒラ戦争,第1次マラータ戦争,第1次マイソール戦争を通じてインド支配の拡大,強化をはかった。 85年に退官,帰国したが,議会から在任中の過酷な政策を弾劾され,E.バークや P.フランシスらによって議会でその責任を追及された。下院による弾劾告発 (87) 後,裁判は8年間にわたって続き,結局ヘースティングズの全面的な無罪となって終った。多額の裁判費用を使い経済的窮之に苦しんだが,イギリスのインド支配確立とその維持に貢献した功績により会社から年金を支給された。

ヘースティングズ
Hastings

イギリスイングランド南東部,イーストサセックス県南東部の都市。ヘースティングズ地区を構成する。ロンドンの南東約 90kmにあり,イギリス海峡に臨む。1066年ノルマン・コンクェストの際にヘースティングズの戦いが行なわれたところとして知られる。古くからの港町で,中世にはシンク・ポーツ(五港連盟)の一つとして繁栄。温和な気候と砂浜海岸に恵まれ,海浜保養地として発展している。背後に迫る砂岩の急崖上にはヘースティングズ城址がある。面積 30km2。人口 8万5828(2001)。

ヘースティングズ
Hastings, James

[生]1852
[没]1922.10.15.
スコットランドの長老派牧師,事典編纂者。アバディーンのディビニティ・カレッジに学び,自由教会の牧師となる (1901~11) 。月刊誌"Expository Times"を 1889年に創刊,事典編纂者としても著名である。主著"Dictionary of the Bible" (5巻,1898~1904) ,"Dictionary of Christ and the Gospels" (2巻,06~08) ,"Encyclopaedia of Religion and Ethics" (12巻,08~21) ,"Dictionary of the Apostolic Church" (2巻,15~18) 。

ヘースティングズ(侯)
ヘースティングズ[こう]
Hastings, Francis Rawdon-Hastings, 1st Marquess of

[生]1754.12.9. ダウン
[没]1826.11.28. ナポリ,バイア湾
イギリスの軍人,植民地行政官。 1775~81年アメリカ独立戦争に参加。フランス革命戦争に従軍,1803年陸軍大将に昇進。 13~23年ベンガル総督兼インド軍司令官,14~16年ネパールのグルカ族,17~18年中央インドのピンダリ族,南インドのマラータ同盟とそれぞれ戦い,イギリスの勢力圏拡大に尽力。 19年買収によりシンガポール島をイギリス領とした。インド経略の功により 17年侯爵。晩年はマルタの知事。

ヘースティングズ
Hastings

アメリカ合衆国,ネブラスカ州南部の都市。 1872年入植。広大なコムギ地帯を背景に,コムギ,トウモロコシなどの集散地で,鉄道交通の中心地でもある。食品加工,自動車部品や農機具製造なども盛ん。人口2万 2838 (1990) 。

ヘースティングズ
Hastings

ニュージーランド,ノース島東部,ホーク湾南岸の都市。ネーピアと連合都市を形成する。「ニュージーランドの果物籠」と呼ばれる農牧地帯の集散・加工地。人口5万 5800 (1990推計) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ
Warren Hastings
生没年:1732-1818

イギリスの植民地行政官,初代ベンガル総督。1750年イギリス東インド会社の書記としてインドに赴任し,のちマドラス参事会員などを経て,ベンガル知事(1772-74)および初代ベンガル総督(1774-85)になる。65年に会社はベンガルの徴税権を獲得したものの,徴税や行政はインド人の代理人に委託されていた。ヘースティングズはこれを廃し,会社が直接に行政と徴税を担当する体制を作り出した。それぞれの土地については,5年(のちには1年)単位で競争入札によって地税納入者を決め,各地方にはイギリス人の徴税担当官が配置された。官僚制度や裁判制度の確立も試みられた。在任中には,ロヒラ戦争,第1次マラーター戦争,第2次マイソール戦争などの責任者として,インドにおけるイギリス支配を推し進めた。
執筆者:


ヘースティングズ
Francis Rawdon-Hastings,1st Marquess of Hastings
生没年:1754-1826

イギリスの植民地行政官。アイルランド貴族としては第2代モイラ伯2nd Earl of Moira。インドのベンガル総督(1813-23)として,グルカ戦争(1814-16),ピンダーリー掃討(1817-18)を行い,とくに第3次マラーター戦争によって中央インドの広大な地をイギリス支配下に組み込んだ。イギリス支配は,パンジャーブ以外のインド主要部分に及ぶにいたった。在任中,警察・裁判制度の改定や北インドへの地税制度の導入,確立が行われた。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘースティングズ」の解説

ヘースティングズ
Warren Hastings

1732~1818

イギリスの植民地行政官。18歳でイギリス東インド会社の書記としてベンガルに着任したが,抜群の能力によってベンガル知事(在任1772~74),ベンガル総督(在任1774~85)の地位まで昇りつめた。乱脈をきわめていた初期の植民地行政の体系化に努力し,地租制度,裁判制度,官僚機構の改革を行った。クライヴの剣が獲得したインド帝国に,ヘースティングズの頭脳が行政機構を与えたと評される。他方では,ロヒラ戦争,第1次マラーター戦争,第1次マイソール戦争などを勝利に導いた。またインド文化に関心を示し,東洋学の研究団体であるベンガル・アジア協会の創立(1784年)を援助した。帰国すると,腐敗の疑惑で弾劾裁判にかけられたが,無罪となった。バークのヘースティングズ弾劾演説は有名である。

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百科事典マイペディア 「ヘースティングズ」の意味・わかりやすい解説

ヘースティングズ

英国の植民地行政官。軍人としてアメリカなど各地に転戦。1813年ベンガル総督となり(−1823年),ネパールのグルカ,中央インドのピンダリー匪賊(ひぞく)の掃討にあたり,第3次マラーター戦争によって中央インドの広大な地域を英国の支配下に収め,警察・司法制度を改革し,地税を導入した。1819年のシンガポールの買収にも関与した。

ヘースティングズ

英国のインド植民地行政官。東インド会社書記としてインドに渡り,1772年ベンガル知事,1773年―1782年初代ベンガル総督。植民地行政の整理・改革に努力し,武力により領土を広げ,インド支配の基礎を固めた。帰国後,在任中の酷政と腐敗を議会から弾劾されたが無罪。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヘースティングズ」の解説

ヘースティングズ
Warren Hastings

1732〜1818
イギリスの植民地行政官
1772年ベンガル知事,74年初代ベンガル総督となる。植民地行政機構を整え,第1次マラータ戦争・第2次マイソール戦争などを通じて支配権を強化し,イギリス領インドの基礎を固めた。帰国後,議会でその過酷な政策を非難された。

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世界大百科事典(旧版)内のヘースティングズの言及

【ネーピア】より

…人口5万2000(1991)。ホーク・ベイ地方の中心都市で,近くのヘースティングズとともに連合都市として扱われることがある。羊毛,水産加工(缶詰),ブドウ酒などの工業が立地し,羊毛の集散地として知られる。…

※「ヘースティングズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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