バシリーグロースマン(その他表記)Vasilii Semyonovich Grossman

20世紀西洋人名事典 「バシリーグロースマン」の解説

バシリー グロースマン
Vasilii Semyonovich Grossman


1905.12 - 1964.9.14
ソ連小説家
ウクライナ生まれ。
1940年に発表した「ステパン・コリューギン」が評価を得る。第二次世界大戦の際、「赤い星」紙の記者として従軍。’42年「人民は不滅」、’46年「ピタゴラス学派を信ずるなら」を発表するが、思想的な偏りを批判される。’52年「正義事業のために」では、スターリングラード戦いを取り上げるが、党の機関誌は「イデオロギー的に有害」と批判した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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