日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルドー条約」の意味・わかりやすい解説
バルドー条約
ばるどーじょうやく
Traité du Bardo
1881年にフランスとチュニジアの間で締結された条約で、1883年のラマルサ協約Convention de La Marsaとともに、チュニジアがフランスの保護領になることを定めたもの。当時のチュニジアは名目的にはオスマン帝国の宗主権下にあったが、実質的にはフサイン朝の太守(ベイ)のもとで独立していた。19世紀に入るとフランス以外にもイタリア、イギリスなどが進出を図り、それに対抗するために実施した近代化政策が対外債務の累積を招き、かえって従属への道を開いた。
上記の三国による財政管理を経て、この条約によりフランスは排他的支配権を確立した。バルドー条約では、フランスの権限は外交と財政の監督に限定されていたが、ラマルサ協約においてチュニジアを保護領とし、名目的主権者としての太守の地位こそ維持されたが、内政についても、フランス政府が任命する総督が実権を掌握することになった。なおバルドー、ラマルサはいずれも首都チュニス郊外の地名で条約の調印地。
[宮治一雄]