バルドー
Brigitte Bardot
生没年:1934-
フランスの映画女優。〈ベベ〉(姓名のイニシャルをならべた略称B.B. に赤ちゃんの意を含む)の愛称で親しまれ,戦後のフランスのみならずヨーロッパ最大の〈セックス・シンボル〉となった。パリの裕福なブルジョアの娘で,モデルから映画界入り。おしりまるだしの天真らんまんな女,肩から背中まで垂れた洗いざらしのブロンドの髪をなびかせ,太陽の下に惜しげもなく裸体をさらして裸足で闊歩(かつぽ)する自由奔放な女,妖婦と幼児あるいは背徳と無邪気が背中合せになっている素直な悪女,というベベのイメージをつくり上げたのは,彼女の夫で当時まだまったくの新人監督だったロジェ・バディムRoger Vadim(1928-2000)と新時代の息吹をいち早く感じて〈ヌーベル・バーグ〉を先取りしたプロデューサーのラウール・レビRaoul Lévy(1922-66)で,マリリン・モンローがブロンドで成功した例にならってブルネットのベベの髪をブロンドに染めさせ,肉体とセックスをカラー・シネマスコープの画面いっぱいに描き出すという冒険を試み,世界中に衝撃を与えた。
〈ベベは演技しない,ベベは存在する〉というバディムの誇らかな宣言どおり,ブリジット・バルドーの登場はフランス映画の〈演技派女優〉の伝統をくつがえし,肉体的存在感こそスクリーンを魅惑するもっとも重要な要素であることを証明することになった(ベベの前に〈全裸女優〉と呼ばれたマルティーヌ・キャロルがいたが,全裸にはなってもやはり〈演技〉は求められ,大根女優よばわりされていた)。純粋な欲望に素直に生きるベベは新しい時代の〈自由な女〉の肉体的な夢となり,《第二の性》の著者ボーボアールは,次のように書いた。〈ベベは何も欲しがったりしない。ただそのときどきの自分の気持に従うのである。お腹が空いたら食べ,それと同じ気取らない無邪気さで愛のいとなみを行う。ベベにとっては,欲望と快楽のほうが道徳や因習よりも説得力があるかのようだ〉。ロジェ・バディム監督《素直な悪女》(1956)撮影中に共演のジャン・ルイ・トランティニャンと駆落ちすることから始まって,世界的な規模でスキャンダルな愛の遍歴を繰り返し,〈ベベがベベを演じた〉といわれたルイ・マル監督の異色作《私生活》(1961)などをへて,フランス映画史はじまって以来のゴシップに彩られた〈ハリウッド的規模〉の大スターとなった。ジャン・リュック・ゴダール監督《軽蔑》(1964),〈演技のしっかりした〉名女優ジャンヌ・モローと競演の《ビバ! マリア》(1965)などが話題になるが,〈映画も女優も大きらい〉で,早くから引退を考えており,1973年以後は〈昔からの夢だった〉動物愛護運動に挺身している。
執筆者:山田 宏一+広岡 勉
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バルドー
フランスの俳優。パリ生れ。雑誌のカバー・ガールとして活動中にR.バディムと出会い,結婚(のち離婚)。R.クレール監督《夜の騎士道》(1955年)をへて,夫バディム監督の《素直な悪女》(1956年)で爆発的な人気を得る。1950年代から1960年代のセックス・シンボルとしてBB(ベベ,フランス語で〈赤ちゃん〉の意味を兼ねる)の愛称で親しまれた。演技ではなく肉体の存在感によって強烈な個性を発揮し,私生活でも話題を提供。ほかにM.ボアロン監督《気分を出してもう一度》(1959年),J.コクトー監督《オルフェの遺言》(1960年),L.マル監督《私生活》(1962年),J.L.ゴダール監督《軽蔑》(1963年)などに出演。バディム監督《ドン・ファン》(1973年)を最後に引退した後は,動物愛護運動に専念している。
→関連項目クルーゾ
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バルドー
ばるどー
Brigitte Bardot
(1934― )
フランスの映画女優。パリ生まれ。ブルジョア家庭に育ち、バレエや演劇を学ぶ。雑誌のモデルをしているときにフランスの映画監督ロジェ・バディムにみいだされ映画界入りし、1953年に彼と結婚(1957年離婚)。何本かに端役出演し、1956年にバディムの第一作『素直な悪女』に主演、そのコケティッシュな容貌(ようぼう)と大胆なセックス・アピールで一躍世界的なスターとなる。以後『可愛(かわい)い悪魔』(1958)、『私生活』(1961)、『軽蔑(けいべつ)』(1964)、『ラムの大通り』(1970)など多くに主演、B・B(ベベ)の愛称で一時代を画した。男性遍歴でも話題をまいたが、1974年以降は引退宣言を出して動物愛護の運動に専念している。
[村山匡一郎]
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バルドー
Bardot, Brigitte
[生]1934.9.28. パリ
フランスの映画女優。 1950年代初めから映画に出ていたが『素直な悪女』 (1956) で世界的スターとなり,以後反道徳的な役柄と性的魅力で人気を得た。主演作品『気分を出してもう一度』 (59) ,『真実』 (60) ,『私生活』 (61) ,『ラムの大通り』 (71) 。
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世界大百科事典(旧版)内のバルドーの言及
【記号】より
…パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスの[F.deソシュール]は儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者[R.バルト]は,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。あらゆる記号のなかで自然言語の記号(いわゆる言語記号)ほど複雑・高度な記号は存在せず,その機能と構造の諸特徴は他の諸記号の機能と構造の特徴の多くを網羅してしまうからである。…
【構造主義】より
…それは大きな知的反響をよびおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。このような論議の高まるなかで,[フーコー]が《言葉と物》(1966)を,[アルチュセール]が《資本論を読む》《甦るマルクス》(ともに1965)を,[ラカン]が《エクリ》(1966)を,[R.バルト]が《モードの体系》(1967)を世に問い,その他文学批評の分野でも構造分析が行われ,いずれも何らかの形で〈構造〉ないし〈システム〉を鍵概念として近代西欧の観念体系を批判吟味する新しい構造論的探求を展開した。そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった。…
【詩学】より
…《言語学と詩学》(1960)がそれで,この論文は戦後の構造詩学の出発点となったし,[レビ・ストロース]との共同研究《ボードレールの〈猫〉》の構造分析は〈無意識的なものの意識化〉を目ざす構造主義の詩学の範となった。これより先,レビ・ストロースはプロップの《魔法昔話の形態論》やフォルマリズム詩学,プラハ言語学派の機能構造言語学の成果を踏まえてオイディプス神話の分析を行っているが,これはのちのC.ブレモン,A.グレマス,[R.バルト],Ts.トドロフ,A.ダンダスらの物語構造論を生み出す端緒となった。 構造主義による文化の構造分析は文化批判を含むが,バルトの《零(ゼロ)度のエクリチュール》は時代の文体ともいうべきエクリチュールを批判的に分析し,《神話作用》も現代ヨーロッパ社会におけるブルジョア神話の〈自然さ〉〈もっともらしさ〉を打破,非神話化する企てであり,詩学が広く現代文化をもその射程におさめうることを示した。…
【写真】より
…このわれわれが日々に接する写真というものは,はたしてどのような性格を持ったメディアなのか,そしてわれわれはそれをどのように読み,また読まされているのだろうか。 フランスの哲学者・記号論学者[R.バルト]は〈写真はコードのないメッセージである〉と定義した(《写真のメッセージLe message photographique》1961)。われわれは言語表現によってある現実を言語に移しかえる場合,その社会に流通する言語体系によって現実の一局面を切り刻み,それを音韻,形態,統辞,意味などさまざまなレベルでコード化することによってメッセージを形成する。…
【文学理論】より
…それではこのテキストとはいったい何であるか。 この問題の解明に最も大きな貢献をしたと思われるのは,フランスの構造主義ならびにそれ以降の動きのなかで仕事をしたR.バルトとクリステバJulia Kristevaである。彼らの考えによれば,テキストには二つの次元がある。…
【物語】より
…この場合には,物語をいわゆる文学に固有のものとはせず,神話,伝説,民話,おとぎ話,小説,戯曲,絵画,映画,漫画,ダンスなどに共通にあらわれるものとみる。そして〈物語の構造分析には言語学そのものを基礎モデルとして与えるのが理にかなっている〉([R.バルト]《物語の構造分析序説》1966)と考える。この方向での研究の早い例は,ソ連の民話学者[プロップ]の《民話の形態学》(1928)であるとされている。…
※「バルドー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」