ひめゆり部隊(読み)ヒメユリブタイ

デジタル大辞泉 「ひめゆり部隊」の意味・読み・例文・類語

ひめゆり‐ぶたい【ひめゆり部隊】

第二次大戦末期の昭和20年(1945)、米軍との沖縄戦で従軍看護要員として動員され、戦死した沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校生徒職員のこと。両校の校章白ゆりで、第一高等女学校の校友雑誌が「おとひめ」であったことから戦後につけられた名称ひめゆり学徒隊。→ひめゆりの塔

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百科事典マイペディア 「ひめゆり部隊」の意味・わかりやすい解説

ひめゆり部隊【ひめゆりぶたい】

太平洋戦争末期,1945年3〜6月の沖縄戦に動員された沖縄県立師範学校女子部と県立第一高等女学校合同の従軍看護隊の通称。部隊名は両校のシンボル白百合〉と〈乙姫〉からとられた。彼女たち看護隊は米軍の沖縄本島上陸以後,陸軍病院で正規看護婦の補助要員として看護活動に従事していたが,米軍の来攻とともに悲劇最期を遂げた。戦後,彼女たちの最期は沖縄戦の悲劇を象徴するものとして多くの小説・映画などで取り上げられ,また両校の戦没職員・学徒210名をまつる〈ひめゆりの塔〉が建立された。
→関連項目津島恵子

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ひめゆり部隊」の意味・わかりやすい解説

ひめゆり部隊
ひめゆりぶたい

沖縄戦当時、県立第一高等女学校、沖縄県師範学校女子部の生徒で組織された学徒看護隊の通称。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ひめゆり部隊」の解説

ひめゆり部隊
ひめゆりぶたい

太平洋戦争末期の沖縄で,1944年(昭和19)12月第32軍司令部の指示により,沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒で組織された看護隊。翌年4月の米軍上陸に際して,総数200人の生徒が沖縄陸軍病院に動員され,同年6月の沖縄戦争終結まで,天然の洞窟を利用した外科壕で負傷兵の看護にあたった。戦後,犠牲者の多かった摩文仁(まぶに)に,戦没した職員・生徒210人を合祀した慰霊塔「ひめゆりの塔」が建立された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ひめゆり部隊」の意味・わかりやすい解説

ひめゆり部隊
ひめゆりぶたい

第2次世界大戦の末期に,沖縄決戦にそなえ,沖縄県立師範学校女子部の生徒 150人,県立第一高等女学校の生徒 50人および両校教師 15人で構成された女子部隊。 1945年3月 23日動員令が下り,南風原陸軍野戦病院へ出動,4月1日アメリカ軍上陸に続く戦況悪化のなかで,一部は沖縄本島最南端部までアメリカ軍に追われて集団自決をとげた。沖縄戦終了時までの戦死者 167人。集団自決地の糸満市伊原に慰霊塔が建てられている。

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