改訂新版 世界大百科事典 「ヒュペレイデス」の意味・わかりやすい解説
ヒュペレイデス
Hypereidēs
生没年:前390か389-前322
アテナイの弁論家。リュクルゴス,デモステネスと協調して,マケドニア勢力のギリシアへの進出を阻止するために活躍した。しばしば外地へ赴いて同盟結成を訴え,前340年アテナイがマケドニアに宣戦すると,私財を投じて三段橈船を仕立ててビザンティン攻防戦に参加したり,前338年アテナイ側の敗北後も抵抗を続け,奴隷を解放して市民軍を強化する提案を行ったりした。熱狂的,非妥協的で,デモステネスのとった現実的な政策と相入れなくなり,前323年初めには盟友である彼を収賄の疑いで告訴,勝訴した。アレクサンドロス大王の死後アテナイが無条件降伏をするに及んで,捕らえられ処刑された。都会的な皮肉と機知に富んだ演説は古代において高く評価されていたが,作品の中世写本はまったく伝わっていない。1847年以降エジプト出土のパピルスによって《エウクセニッポス弁護論》《葬礼演説》など,6編の弁論と断片が復元されている。
執筆者:細井 敦子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報