日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラミア戦争」の意味・わかりやすい解説 ラミア戦争らみあせんそう 紀元前4世紀のギリシア諸ポリスとマケドニアとの戦い。「ギリシア人の戦争」ともよぶ。ラミアLamiaはギリシア中部、テッサリアとの境界に近い小邑(しょうゆう)。紀元前323年のアレクサンドロス大王の死を機に、同年秋アテネを中心とするギリシア諸ポリスはマケドニアに対して蜂起(ほうき)、アンティパトロス麾下(きか)のマケドニア軍をラミアに包囲したが、翌年海陸に敗れて諸ポリス最後の解放戦争はついえた。扇動した弁論家ヒペレイデスやデモステネスは刑死ないし自殺した。[金澤良樹] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラミア戦争」の意味・わかりやすい解説 ラミア戦争ラミアせんそうLamian War アレクサンドロス3世 (大王)の死後,前 323~322年にアテネが他のギリシア諸都市とともにマケドニアに対して起した戦い。ギリシア勢はマリス地方の都市ラミアでマケドニア軍を包囲して一時優勢を得たが,やがて海陸で敗退し,無条件降伏。以後アテネの独立は失われた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報