日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピドナの戦い」の意味・わかりやすい解説 ピドナの戦いぴどなのたたかい 紀元前168年、第三マケドニア戦争でローマの将軍アエミリウス・パウルスがマケドニア王ペルセウスを決定的に撃破した戦い。その結果マケドニア王国は滅亡し、四地域に分割され、またローマは莫大(ばくだい)な戦利品を獲得したため、ローマ市民は以後、直接税を免除されることとなった。 なお、ピドナPydnaはマケドニア南部ピエリア地方の都市。ここでの戦いにはこのほか、前357年のマケドニア王フィリッポス2世のアテネ領よりの奪取、また前217~前216年、アレクサンドロス大王の母オリンピアスがカサンドロスに攻囲されて降服した戦いなどがある。[秀村欣二] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ピドナの戦い」の解説 ピドナの戦いピドナのたたかいPydna 前168年,テッサリア(ギリシアの北東部)北部海岸のピドナで,ローマがマケドニアを破った戦いマケドニア王が捕らえられ,ローマはこれ以後,東方諸国から莫大な戦利品と奴隷の略奪を始めた。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by
山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピドナの戦い」の解説 ピドナの戦い(ピドナのたたかい) ⇒ピュドナの戦い 出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by