現代外国人名録2016 「ピートタウンゼント」の解説
ピート タウンゼント
Pete Townshend
- 職業・肩書
- ロック・ギタリスト
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1945年5月19日
- 出生地
- ロンドン
- 本名
- タウンゼント,ピーター・デニス・ブランフォード〈Townshend,Peter Dennis Blandford〉
- グループ名
- グループ名=ザ・フー〈The Who〉
- 学歴
- イーリング・アート・カレッジ
- 経歴
- 幼少時からギターを始め、アクトン・カウンティー・グラマー・スクール在学中にジョン・エントウィッスルを知る。同校卒業後はアーリング・アート・スクールでアートを専攻。1963年エントウィッスルやロジャー・ダルトリーのバンドであるディトゥワーズに参加し、リードギターを担当。同バンドはいったんザ・フーに改名するが、レコード会社の宣伝担当者の勧めでハイ・ナンバースに改め、’64年シングル「アイム・ザ・フェイス」でデビュー。しかしそのセールスが芳しくなかったため、同年ドラマーのキース・ムーンが加入した後、バンド名をザ・フーに戻し、’65年シングル「アイ・キャント・エクスプレイン」で再デビューした。デビュー当初からモッズと呼ばれる英国の若者たちの支持を得、同年リリースの3枚目のシングル「マイ・ジェネレイション」が全英2位の大ヒットし、一躍ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクスと並ぶ英国の4大ロックバンドの一角を占めるに至った。特にそのライブ・パフォーマンスの派手さや大音量による演奏で知られ、彼もステージ上を所狭しと飛び跳ね、右腕を風車のように回転させてギターを弾く“ウインドミル奏法”で若者たちを魅了。のちにはステージにギターを叩きつけて破壊するなどパフォーマンスも過激さを増し、’67年モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演してからは米国でも人気を獲得した。一方でギタリスト、ソングライターとしての腕も確かで、’69年発表のロックオペラ「トミー」では自身の繊細な感覚を遺憾なく発揮し、欧州、米国のオペラハウスをツアーしてアルバム、ステージ共に好評を博した。同年米国ニューヨーク州で開催された伝説的な音楽フェスティバル、ウッドストックにも参加。この間、インドの聖人ミーハ・ババへの傾倒を深め、’71年ババに捧げる形で初のソロアルバム「フー・ケイム・ファースト」をリリース。’73年モッズをテーマにしたロックオペラ「四重人格」を発表し高い評価を受ける(’79年に「さらば青春の光」として映画化)。’78年キース・ムーンが急死してからは元スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズを後任ドラマーにしてアルバムやコンサートを続けるが、バンドとしての勢いは衰え’82年に解散。以後は自身のソロ活動を進め、「ホワイト・シティ」「ザ・アイアン・マン」「サイコデリリクト」などのアルバムを製作。また’85年には自伝的要素を含んだ初の短編小説集「四重人格(ホーセス・ネック)」を刊行した。ザ・フーに関しては同年のライブ・エイドなどで一時的に演奏していたが、’96年英国のチャールズ皇太子主催のプリンス・トラスト・コンサートを機に正式に再結成を果たし、以後は断続的にコンサートを行う。英国の4大ロックバンドの一つに数えられる大物でありながら長らく来日公演を行ってこなかったが、2004年ロック・オデッセイに参加するため待望の初来日を果たす。2006年バンドとしては24年ぶりスタジオアルバムとなる「エンドレス・ワイヤー」を発表。2008年来日公演。ザ・フーとしてのアルバムは他に「クイック・ワン」「ライヴ・アット・リーズ」「フー・アー・ユー」「フェイス・ダンシズ」などがある。またドキュメンタリー映画「ザ・フー:アメイジング・ジャーニー」に出演。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報