日本大百科全書(ニッポニカ) 「プリンス」の意味・わかりやすい解説
プリンス(Richard Prince)
ぷりんす
Richard Prince
(1949― )
アメリカの美術家。パナマで生まれ、ニューヨークを拠点に活動する。独学で美術を学び、1973年にボストンのアンガス・ワイト・ギャラリーで初個展を開催するなど、若いころより精力的に活動する。またほぼ同時期、タイム・ライフ社の編集部で記事を切り抜く仕事をしていたが、その合間に多くの広告写真を収集、それらを撮り直して加工し作品へと応用する「リフォトグラフ」という独自の写真技法を考案。1977年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催されたグループ展「地図」には、その技法にもとづく作品を出品した。1981年、ニューヨークのメトロ・ピクチャーズ・ギャラリーで個展を開催。同ギャラリーではほかに、シンディ・シャーマン、シェリー・レビンSherrie Levine(1947― )、バーバラ・クルーガー、ビクター・バーギンVictor Burgin(1941― )、ルイーズ・ローラーLouise Lawler(1947― )など若手作家が写真作品を発表、多くはその後1980年代のシミュレーショニズムを牽引する作家へと成長し、「メトロ・ピクチャーズ」世代と称された。もちろん、プリンスもその一人である。
プリンスの考案した「リフォトグラフ」は、すでにある広告写真を撮り直して別の文脈へと置きかえるという技法で、消費社会におけるイメージの流通を表現するのに効果を発揮する点では、シミュレーショニズムの意図と近かった。広告写真の多彩なイメージに注目したプリンスは、アングルや色などを微妙に違えた多くの「リフォトグラフ」作品を作成する。その一方でプリンスは、見かけ上の類似を基準に選んだ複数の写真を一つのイメージとして合成する写真作品も手がけた。代表的な作品としては、1980~1987年に作成されたタバコ「マルボロ」のイメージを流用した「カウボーイ」、広告写真などから引用した3人の女性のイメージを再構成した「同じ方向を見る3人の女性」のシリーズがある。また1980年代後半以後は、写真に短い手書きの言葉やマンガを書き込む新しい試みにも着手した。写真というメディアを活用したプリンスの意図は「もとのイメージに対する知覚の変化」を表現することにあり、いかようにでも取り替えのきく広告写真を用いて、その無意味さ、無内容さを揶揄するアイロニーに満ちている。プリンス本人は、その行為を音楽における「サンプリング」にもなぞらえている。
サン・パウロ・ビエンナーレ(1983)、ベネチア・ビエンナーレ(1988)に参加し、プリンスの名はシミュレーショニズムの作家たちのなかでもいち早く国際的に知れわたった。またホイットニー・アメリカ美術館(1992)、サンフランシスコ現代美術館(1993)、ウォルフスブルク美術館(2002、ドイツ)などでは大規模な個展も開催されるなど、シミュレーショニズムの流行が過ぎ去った後も、高い国際的な評価を保っている。
[暮沢剛巳]
『「We love painting――ミスミコレクションによるアメリカ現代美術」(カタログ。2002・東京都現代美術館)』
プリンス(ミュージシャン)
ぷりんす
Prince
(1958―2016)
アメリカのミュージシャン。ミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名プリンス・ロジャー・ネルソンPrince Roger Nelson。1980年代のアメリカで二つの音楽ジャンルで成功を収めた。一つはMTV時代のやや露出趣味のポップ・スターとしてで、マイケル・ジャクソン、マドンナのライバルだった。もう一つはジェームズ・ブラウン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどが開拓したファンク・ミュージックの遺産の継承者としての成功である。最新のテクノロジーを駆使するだけでなく、過去のロックの遺産も積極的に再評価する視野の広さと音楽の掌握力は図抜けていた。
デビュー作『フォー・ユー』(1978)は、ソウル・ミュージック・チャート、ポップ・チャートでそこそこの成功を収めたが、この作品にはユニークな個性ほどには語られることのない、マルチプレーヤーとしてのプリンスの実力が示されている。次作『愛のペガサス』(1979)からは、「ワナ・ビー・ユア・ラバー」がポップ・チャートの22位になり、ここから新しい時代のポップ・スターのイメージをつくり上げてゆく。3枚目のアルバム『ダーティ・マインド』(1980)のタイトル曲は放送禁止コードの限界に迫る性的な表現に溢れ、この曲で1980年代前半のポップ・チャートの常連となる。ポップ・スターとしてのプリンスのキャリアは主演映画『パープル・レイン』(1984、監督アルバート・マグノーリAlbert Magnoli)で頂点を極める。
その一方で、プリンスは優秀な若手ミュージシャンを集め、自らのバンド、レボリューションを結成した。1960年代後半のサイケデリックを積極的に再評価した『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985)、そして『パレード』(1986)では、ファンクの継承者としての側面を強く打ち出すだけでなく、最新テクノロジーを駆使し、さまざまな音楽的な新機軸を打ち出すことに成功する。
2枚組アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(1987)はプリンスのそれまでの活動の集大成的な作品で、批評家に高い評価を得る。このアルバムと同時に制作が進行していた、ハード・ファンクで統一された『ブラック・アルバム』(1994)は内容があまりに暗く、猥褻であるという理由で1990年代になるまで正規にはリリースされなかった。しかし、一連の作品・活動により1980年代中期には、プリンスは人気と音楽的な実力双方で、ポピュラー音楽の世界の頂点を極めた。
その後、プリンスの活動は多極化していく。ソングライター、プロデューサーとして、バニティ6、ザ・タイム、バングルズ、チャカ・カーン、シーラE Sheila E. (1959― )らと活動し、自らのレーベル、ペイズリー・パークも始動させ、他方でベテランのソウル・シンガー、メイビス・ステープルズMavis Staples(1939― )のアルバムもプロデュースした。
しかし『ラブセクシー』(1988)で初のセールス的な失敗を経験、翌年の映画『バットマン』(監督ティム・バートンTim Burton(1958― ))のサウンド・トラックの成功で巻き返したものの、プリンスの神通力も1990年代には翳(かげ)りが見え始めた。その後の主な活動としては、1991年に新しいバンド、ニュー・パワー・ジェネレーションを結成し、1994年に独立レーベル、NPGを設立、さらにはプリンスという芸名も封印したが、2000年に名前を元に戻した。
[中山義雄]
プリンス(Frank Templeton Prince)
ぷりんす
Frank Templeton Prince
(1912―2003)
イギリスの詩人。南アフリカに生まれ、オックスフォード大学を卒業後、第二次世界大戦中はイギリス情報部に勤務し、1957年以来サウサンプトン大学の英文科教授を務めた。崇高な愛の詩や憂愁をたたえた叙情詩など、その誠実で伝統的な詩風によって一部の読者から高く評価されている。代表作はT・S・エリオットに賞賛された第二詩集『兵士たちの水浴びその他の詩集』(1954)。学者批評家としても研究書『ミルトンの詩におけるイタリア的要素』(1954)や『シェークスピア・詩』(1963)の編集、解説の仕事がある。
[富士川義之]