1893年に創設。1987年には降雪の東京・国立競技場でクラブ世界一を決めるトヨタカップを制した。2004年にはモウリーニョ監督の下で欧州チャンピオンズリーグを制して2度目の欧州王者に。欧州リーグも前身大会を含め2度優勝。元スペイン代表GKカシリャスや元ポルトガル代表DFぺぺらが所属。(共同)
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ポルトガル北西部,ドウロ河口右岸にある同国第2の都市。国際的にはオポルトOportoとして知られる。人口23万6210(2005)。ポルトを県都とする同名県の人口密度(648人/km2)は国内有数の高い値を示す。モンデゴ川以北の地域における商工業の中心都市で,ドウロ川左岸とは三つの橋で結ばれ,同市を中心に道路,鉄道網も発達している。市の北西の大西洋岸には大型船舶の出入りするレイションイス港が控え,中心街から13kmの地点には国際空港もある。
市内で発見された先史時代の遺構により同市の起源は紀元前3000~紀元前4000年にさかのぼることが知られている。ローマ時代初期にはカレCaleの名で知られるが,4世紀末には〈カレの港〉を意味するポルトゥス・カレPortus Caleが町の呼称として一般化し,12世紀には単にポルトと呼びならわされるにいたる。一方,ドウロ川以北,リマ川以南の地域全体の呼称となったポルトゥス・カレからのちの王国名ポルトガルが生まれた。商業都市ポルトの繁栄は,ドウロ川流域で産するブドウを原料とする独特の甘味酒(ポートワイン)の生産,輸出と密接な関係をもつ。ポルトのブドウ酒,すなわちポートワインのイギリスへの輸出は17世紀末より盛んになるが,1703年のメシュエン条約によりイギリスがポルトガル産ブドウ酒の輸入に関して特恵待遇を約して以来,飛躍的に増加した。18世紀を通じてドウロ川流域の開墾が著しく進み,山の斜面に階段状のブドウ畑が一面に広がる今日の景観が生み出された。品質管理などを目的とするポートワイン専売会社の設立(18世紀中ごろ)など,政府の保護政策にも支えられ,ポートワインは今日世界的に有名な甘味ブドウ酒となっている。
ポルトはリスボンに次ぐ国内第2の工業都市で,織物,化学,食品,貴金属加工などの工業が行われる。〈三つの橋の都〉の名で親しまれる観光都市としても知られ,神父の塔(18世紀中ごろ),セドフェイタ教会(12世紀)など多くの宗教的建造物を擁している。南蛮屛風やソアレス・ドス・レイス(19世紀)の彫刻を収める国立博物館,1911年創設されたポルト大学付属人類学博物館など,個性的な博物館も多い。リベルダーデ広場から市役所にいたる中心街の近代的な様相は,ドウロ川沿いの斜面一帯に広がる家屋密集地区の雑然とした景観と興味深い対照をなす。ポートワイン貯蔵庫のたち並ぶ対岸のビラ・ノバ・ダ・ガイアをはじめ,近郊の都市化が近年とくに著しい。
執筆者:彌永 史郎
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ポルトガル北西部、ドーロ・リトラル地方の中心都市で、首都リスボンに次ぐ同国第二の都市。人口26万2928(2001)。英語名オポルトOporto。ドーロ川の河口に位置し、同川下流域でつくられるポートワインの積出し港として世界的に有名。市街は河口北岸に発達するが、二階建て構造の鉄橋ドン・ルイス1世橋をはじめ、19世紀にエッフェルやその弟子たちのつくった二つの橋と新しい一つの橋により、南岸の町ビラ・ノバ・デ・ガイアVila Nova de Gaia(人口6万9167、2001)と結ばれる。ワインのブレンドおよび貯蔵はおもにこの南岸の町で行われる。人口の約3分の1はワイン関連産業で働いており、ワインの町、それもことにイギリスとの結び付きが強い点ではフランスのボルドーに似る。ドーロ川の川幅が狭く、また土砂の堆積(たいせき)が進んだため、大西洋に臨む人工港湾レイションイス港Porto de Leixõesが19世紀末から築造され、1932年に拡張された。このレイションイス港周辺に工場地帯があり、繊維、金属、ゴムの諸工業ならびに石油化学プラントが立地している。
ドーロ川沿いの斜面には古い家屋が密集し、石畳の細い坂道が間を縫う。大聖堂は12世紀創建、18世紀まで増改築が繰り返され、ロマネスク、バロックの様式が混合する。クレリゴスの塔は18世紀建造、高さ75メートルで、船乗りの好目標となっている。ほかにゴシック、ロマネスクの教会や教会堂は数多い。16世紀以来の絵画、彫刻、陶器類を収蔵するソアレス・ドス・レイス国立博物館、歴史民族学博物館、ポルト大学(1911創立)などの文化施設が整っている。1996年この歴史地区がオポルトの歴史地区として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録されている。
[田辺 裕・柴田匡平]
ローマ時代にはポルトゥス・カレPortus Cale(カレの港)として知られ、ポルトガル国名はこの都市に由来する。スエビ王国時代には王国首都ブラガと並ぶ重要な都市であった。8世紀初頭以来イスラム勢力の支配下にあったが、868年キリスト教徒に回復された。ポルトガル独立(1143)後、その支配権をめぐって王権とポルト司教との間に長い闘争が続いたが、ジョアン1世の即位(1385)に際してポルトはリスボンと並んで決定的な役割を果たしたため市民に多くの特権が付与され、貴族は市内での居住が禁じられた。しかし、ポルトが本格的に発展するのは、17世紀末イギリスへのポートワイン輸出が盛んになり始めてからのことである。1500年ごろ約1万にすぎなかった人口もこのころようやく2万を超えた。さらに、18世紀後半にはポンバル侯によって強力に保護され、ポートワインはビラ・ノバ・デ・ガイアからヨーロッパ各国に輸出された。
[金七紀男]
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