現代外国人名録2016 の解説
フランシス・フォード コッポラ
Francis Ford Coppola
- 職業・肩書
- 映画監督・プロデューサー,脚本家
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1939年4月7日
- 出生地
- ミシガン州デトロイト
- 学歴
- ホフストラ大学(ニューヨーク)〔1959年〕卒,カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)映画大学院〔1967年〕修了
- 受賞
- アカデミー賞作品賞・脚色賞(第45回)〔1972年〕「ゴッドファーザー」,アカデミー賞作品賞・監督賞・脚色賞(第47回)〔1974年〕「ゴッドファーザーPart2」,D.H.ロレンス賞「デリケイト・タッチ」,ベッカーマン賞「デリケイト・タッチ」,サミュエル・ゴールドウィン脚本賞1位〔1962年〕「Pilma,Pilma」,サンセバスチャン国際映画祭監督賞・作品賞〔1969年〕「雨のなかの女」,アカデミー賞脚本賞(第70回)〔1970年〕「パットン大戦車軍団」,ゴールデン・グローブ賞作品賞・監督賞・脚本賞(第30回,1972年度)「ゴッドファーザー」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第27回)〔1974年〕「カンバセーション」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第32回)〔1979年〕「地獄の黙示録」,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第37回,1979年度)「地獄の黙示録」,ベルリン国際映画祭ベルリナーレ・カメラ賞(第41回)〔1991年〕,ベネチア国際映画祭特別功労賞(第49回)〔1992年〕,サターン賞監督賞(第19回)〔1993年〕「ドラキュラ」,世界文化賞(演劇・映像部門,第25回)〔2013年〕
- 経歴
- 20世紀初頭、ニューヨークに移住してきた南イタリア人の末裔。父はフルート奏者・作曲家で、小さい頃から恵まれた音楽環境で育つ。8歳の頃から8ミリ映画を撮り始め、1956〜59年ホフストラ大学で演劇を学ぶ。’60年からカリフォルニア大学で映画を学び、在学中コマーシャル・ベイスの映画を作る。その後、ロジャー・コーマンのプロダクションに加わり、コーマンのアシスタントとしてあらゆる下働きをする。初の長編ものの脚本でサミュエル・ゴールドウィンの’62年脚本コンクールに優勝。その後「禁じられた情事の森」「雨のニューオリンズ」「パリは燃えているか」(’66年)などの脚本を書く。’69年製作会社アメリカン・ゾーイトロープを設立。同年「雨のなかの女」でサンセバスチャン国際映画祭の作品賞と監督賞を受賞。’70年「パットン大戦車軍団」の脚本で認められ映画作家として一人立ちする。’72年マフィアの実体を描いたマリオ・ブーゾの小説の映画化「ゴッドファーザー」を監督、世界的に大ヒットし、メジャー監督の仲間入りを果たす。同作品でアカデミー賞作品賞・脚色賞を獲得。「ゴッドファーザー」の製作と前後してボグダノヴィッチ、フリードキンとディレクターズ・カンパニーを設立。’74年の「ゴッドファーザーPart2」ではアカデミー賞3部門を受賞。’79年ベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」ではカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。’92年「ドラキュラ」を監督してからは製作を中心に活動する。2001年「地獄の黙示録」特別完全版を公開。他の代表作に「フィニアンの虹」(1968年)、「アメリカン・グラフティ」(’73年)、「カンバセーション…盗聴」(’74年)、「ワン・フロム・ザ・ハート」(’82年)、「アウトサイダー」「ランブルフィッシュ」(’83年)、「コットン・クラブ」(’84年)、「ペギー・スーの結婚」(’86年)、「タッカー」(’88年)、「ゴッドファーザーPart3」(’90年)、「レインメーカー」(’97年)、「コッポラの胡蝶の夢」(2007年)、「テトロ 過去を殺した男」(2009年)、「Virginia/ヴァージニア」(2011年)などがある。1992年興行成績不振が尾を引き、’83年、’90年に次いで3度目の破産申告を行う。’96年カンヌ国際映画祭の審査委員長を務める。同年ウェイン・ワン監督と共同で香港にアクション専門の映画プロダクション・クローム・ドラゴンを設立、エグゼクティブ・プロデューサーを務める。’75年カリフォルニア州ナパ谷のぶどう園を購入し、以後、ワイナリー・オーナーとしても活躍。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報