アメリカの新聞記者。ニューヨーク州で社会改革論者を父として生まれる。ヨーロッパで学んだのち1883年帰国して『ニューヨーク・サン』紙の記者となり、1890年にはピュリッツァーの下で『ニューヨーク・ワールド』紙日曜版編集者となった。科学や歴史に関する珍しい話を大衆にわかりやすく書くことに優れ、編集者となってからは大見出しではでな紙面をつくることを好んだが、ピュリッツァーがイエロー・ジャーナリズム批判を気にし始めたため、1897年対抗紙であったハーストの『モーニング・ジャーナル』紙編集長に転じ、部数が増えるにしたがって月給が増えるという約束で、当時最高給の新聞記者にのし上がった。1917年から書き始めた「トゥ・デイ」と題するコラムは20年間にわたって広く全米の新聞に掲載され、ときには一面に掲げられて愛読された。一時地方紙の所有者となったこともあり、主筆をも務めている。
[伊藤慎一]
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