ハースト(読み)はーすと(英語表記)William Randolph Hearst

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハースト」の意味・わかりやすい解説

ハースト(Damien Hirst)
はーすと
Damien Hirst
(1965― )

イギリスの美術家。ブリストル生まれ。1986年から89年、ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ芸術科に学ぶ。在学中の88年にロンドン南東部の廃屋となった倉庫で、仲間の学生と作品を展示した「フリーズ」(凍結)というグループ展を組織した。この展覧会や、「近代医学」展、「ギャンブラー」展(ともに1990)が、新しい芸術の登場としてメディアに注目された。ハースト自身、アカデミックアート・スクールの閉鎖性に批判的で、社会生活のなかのイメージや記号に感心をもち、メディアの利用法にたけ、公的機関に頼らず作品制作の資金を引き出せる新世代の作家たち(サラ・ルーカスSarah Lucas(1962― )、ダグラスゴードン、アニャ・ガラッチョAnya Gallaccio(1963― )、リアム・ギリックLiam Gillick(1964― )ら)のスポークスマンとなった。

 その後、巨大な黒枠のガラスケースに砂糖、牛の頭、ウジ虫、害虫駆除機を設置し、ハエが孵化してから死ぬまでを作品化した『千年』(1990)が、有力コレクター、チャールズ・サーチCharles Saatchi(1943― )により買い上げられた。91年、ロンドンの空き店舗を借りて自主企画した初個展「愛の内と外」、92年の2回目の個展「鮫」はサーチの援助により行われた。97年にはサーチによりYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)というキャッチ・フレーズのもとに「センセーション」展が組織された。同展は、ハーストや同世代の作家たちを、ポップ・アートを生んだ60年代のロンドンの活気を引き継ぐ、90年代のロック音楽やサブカルチャーと連動したアート・シーンを担う作家たちとして宣伝し、2年間世界各地を巡回した。

 そのほかの作品は、熱帯種の数百の蝶を展示空間に生息させた『愛の内と外』(1991)、防腐液のはいった水槽に動物を入れた「自然史」シリーズがある。同シリーズの『生者の心における死の物理的な不可能性』(1991)では12フィート(約3.6メートル)の死んだ鮫を浮かべるなど、生と死についての関心を、見る者に衝撃を与える生々しい形で表現した。同シリーズはハーストの代表作で、輪切りにした2頭の牛の胴を水槽に背中合わせに設置した『内在するものを受け入れることで得られる救いはどんなものにも存在している』(1996)は、90年代美術を通して最もよく知られたイメージの一つである。

 一方、薬の瓶や箱をそのロゴや形によって分類し、キャビネットに整理して、薬局の内装のようなインスタレーションをつくった『薬局』(1991)や、キャンバスに色の点を並べただけのドット・ペインティングなど、ハーストの作品には、ミニマリズムにおける幾何学形の反復を、日常のなかに移した作品もある。『薬局』は99年にテート・ギャラリーの所蔵となった(現在はテート・モダンに展示)。ミニマリズム的な抑制のきいた幾何学的枠組みのなかに、生き物や死んだ動物、たばこの吸い殻など人間の気配のするものを展示することで、ハーストは芸術と生を統合させようとした。95年ターナー賞受賞。

[松井みどり]

『Damien Hirst, Jonathan BarnbrookI Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, with Everyone, One to One, Always, Forever, Now (1997, Booth-Clibborn Editions, London)』『Jonathan Barnbrook, Damien HirstPictures from the Saatchi Gallery (2001, Harry N. Abrams, New York)』『ジェイムズ・ロバーツ著、川出絵里訳「デミアン・ハーストの時代」(『美術手帖』2000年8月号所収・美術出版社)』


ハースト(William Randolph Hearst)
はーすと
William Randolph Hearst
(1863―1951)

アメリカの新聞経営者。サンフランシスコに生まれる。ハーバード大学に学んだが、1887年鉱山王であった父から『サンフランシスコ・エクザミナー』紙の経営を任されたときから新聞界に出ることとなった。1895年にはニューヨークで『ジャーナル』紙を買収、ピュリッツァーの『ワールド』紙を相手に激しい競争を展開、色刷り漫画やセンセーショナルな記事と大見出しで、のちにイエロー・ジャーナリズムとよばれる時代をつくりだした。1897年には両紙の扇動的な記事でスペインとの戦争の原因をつくったと評された。政界進出をも企て、下院議員になっただけに終わったが、全米各地で新聞・通信・出版社を経営することによって「ハースト帝国」といわれる大資産をつくった。第一次世界大戦では参戦に反対、戦後は国際連盟にも反対したが、1927年以来、英語圏諸国の政治協力を唱えるようになった。その新聞チェーンはいまだに勢力が強い。

[伊藤慎一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハースト」の意味・わかりやすい解説

ハースト
Hearst, William Randolph

[生]1863.4.29. カリフォルニア,サンフランシスコ
[没]1951.8.14. カリフォルニア,ビバリーヒルズ
アメリカ合衆国の新聞経営者。ジョージ・ハーストの子。1887年父が所有する『サンフランシスコ・エグザミナー』紙を受け継ぎ,1895年ニューヨークに進出。『ニューヨーク・モーニング・ジャーナル』を買収して『ニューヨーク・ジャーナル』と改題したのを手始めに,独特の経営手法で 20世紀にかけて,新聞 30,雑誌十数種,通信,映画など,関連事業 70種を擁する巨大な「ハースト・チェーン」を築いた。19世紀末ジョーゼフ・ピュリッツァーとの間に激烈な競争を展開し,センセーショナルな報道で,いわゆるイエロー・ジャーナリズムの中心人物となった。政治的にはアメリカ=スペイン戦争や反トラスト運動の扇動,8時間労働制女性参政権の主張,ニューディール政策に対する賛美から非難への急変など,めまぐるしく変転したが,共産主義に対しては一貫して反対の立場をとった。

ハースト
Hearst, George

[生]1820.9.3. モンタナ,サリバン近郊
[没]1891.2.28. ワシントンD.C.
アメリカの鉱山主,農場経営者,新聞経営者,政治家。 W.ハーストの父。 1850年カリフォルニアに移り,ユタ,モンタナ,サウスダコタ,メキシコに鉱山を所有。 80年サンフランシスコで『デイリー・エグザミナー』紙を創刊。 86~91年連邦上院議員。

ハースト
Hearst, Phoebe

[生]1842.12.3. ミズーリ
[没]1919.4.13.
アメリカの鉱山主 G.ハーストの妻。旧姓 Apperson。慈善事業家として有名。カリフォルニア州と首都ワシントン D.C.で教育慈善事業を営んだ。

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