ブルガリア民主勢力同盟(読み)ブルガリアみんしゅせいりょくどうめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルガリア民主勢力同盟」の意味・わかりやすい解説

ブルガリア民主勢力同盟
ブルガリアみんしゅせいりょくどうめい

略称 UDFブルガリア政党。民主化要求が高まった 1989年 12月,16団体の連合組織として結成された。複数政党制,民主的憲法の制定,自由選挙など政治の民主化を要求し,90年6月の選挙では社会党 (旧共産党) に次ぎ第2党に躍進した。その後も民主勢力同盟の民主化要求運動は続いたため,同年7月社会党のムラデノフ大統領が辞任,同年8月にはジェリュ・ジェーレフ UDF議長が大統領に就任した。 91年 10月の選挙では 111議席を得て第1党になり,フィリプ・ディミトロフ議長が首相に就任した。しかし,同首相は 92年辞任し,後任にベロフ大統領経済顧問が選出された。その後党内はジェーレフ派とディミトロフ派に分裂,さらに 93年なかばには保守勢力が台頭するなど混乱に陥った。それに加え政党間の争いが激しくなったことから,94年9月にベロフ内閣は総辞職となった。同年 12月に行われた解散総選挙で UDFは 69議席にとどまり,党首にイワンコストフを選出,野党第1党として社会党政権との対立姿勢を強めていった。 96年 11月の大統領選挙では,経済混乱を招いた社会党政権を批判し,UDFのペタルストヤノフ当選。 97年4月の総選挙では 240議席中 137議席を獲得し圧勝,同年5月にはコストフ議長を首相とする内閣が発足した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む