日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジスカール・デスタン」の意味・わかりやすい解説
ジスカール・デスタン
じすかーるですたん
Valéry Giscard d'Estaing
(1926―2020)
フランスの政治家。ブルボン王家にさかのぼる名家の出身。理工科大学校(エコール・ポリテクニク)、ついで国立行政学院に学び財務省に入省。1956年下院議員に選ばれ、1962年院内に独立共和派を創設しドゴールのアルジェリア放棄政策を支持した。同年財務相となり1966年まで留任。その後はドゴールの反アングロ・サクソン主義を批判し、体制と距離を保った。1969年ポンピドーの大統領選出に尽力してふたたび財務相に就任。1974年ポンピドーの急死後、左翼連合候補ミッテランを僅差(きんさ)で破り大統領となった。翌1975年11月には、第1回先進国首脳会議(サミット)をフランス・ランブイエで開催。7年間の任期(1974~1981)は、選挙年齢の18歳への引き下げ、堕胎と離婚の自由化、女性問題省設置などの進歩的中道政策の追求と、失業とインフレの二重苦克服の失敗の明暗二面を含み、1978年の新与党フランス民主連合(UDF)創設にもかかわらず、長期政権の腐敗と不人気もあずかり、1981年の大統領選挙でミッテランに再選を阻まれた。1988~1996年UDF議長。その後ヨーロッパ連合(EU)諮問会議議長。2003年からアカデミー・フランセーズ会員。
[平瀬徹也]