プガチョーフ(英語表記)Pugachëv, Emel'yan Ivanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プガチョーフ」の意味・わかりやすい解説

プガチョーフ
Pugachëv, Emel'yan Ivanovich

[生]1740/1742
[没]1775.1.21. モスクワ
ロシアの農民反乱指導者ドン川流域のコサックの家に生れ,七年戦争,露土戦争 (1768~70) に参加。病気で帰郷したのち,3年間を放浪のうちに過した。この間分離派教徒の村に住んで,彼らの思想から大きな影響を受けた。 1772年秋ヤイク・コサックの反乱が鎮圧されたことを聞き,同地に行ったが逮捕され,シベリア流刑判決を受けた。しかし脱走に成功し,73年8月皇帝ピョートル3世であると名のって,コサックと農民の大規模な反乱を組織したが,政府軍に敗れ処刑された。 (→プガチョーフの反乱 )  

プガチョーフ
Pugachëv

1918年までニコラエフスク Nikolaevsk。ロシア西部,サラトフ州都市。州都サラトフ東北東約 200km,ボルガ川支流大イルギズ川右岸に位置する河港都市。食品 (乳製品缶詰,製粉) ,自動車部品,木材加工などの工業がある。郷土博物館,チャパーエフ住居博物館がある。現市名は農民反乱指導者 E.I.プガチョーフを記念したもの。サラトフと鉄道で連絡。人口約3万 5000。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「プガチョーフ」の解説

プガチョーフ
Emel'ian Pugachyov

1742頃~75

1773~75年のロシア南部の反乱の指導者。ドン川のジモヴェイスク村の貧しいカザーク農家に生まれ,放浪,反抗,逮捕,脱走を繰り返した末,ヤイク川のカザークらを率い,ピョートル3世を自称して反乱を開始した。バシキール人や農民たちを反乱に加えたが,のち同志に裏切られて敗北し,モスクワで四つ裂きの刑に処せられた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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