改訂新版 世界大百科事典 「プラケーシン2世」の意味・わかりやすい解説
プラケーシン[2世]
Pulakeśin Ⅱ
生没年:?-643ころ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その死後2人の子の間で国が南北に分裂し,北の兄王統は5人の王が立って6世紀中ごろまで続いたが,北方にチャールキヤ朝の勢力が拡大すると衰退した。南の弟王統もパッラバ朝,チャールキヤ朝に従属することが多く,7世紀初頭に6代目の王がチャールキヤ朝プラケーシン2世に倒された後は衰微の一途をたどった。のち10世紀から12世紀にかけて勢力を回復したが,地方的小政権の域を出るものとはならなかった。…
…主要な系統はバーダーミBādāmi,カルヤーニKalyāṇi,東チャールキヤの三つで,前2者を併せて西チャールキヤ朝と呼ぶ場合もある。 バーダーミのチャールキヤ朝(前期西チャールキヤ朝)は,プラケーシン1世Pulakeśin Iによって6世紀半ばにバーダーミを都として始められ,8世紀中葉まで存続した。2代,3代の王キールティバルマン1世Kīrtivarman I,マンガレーシャMangaleśaは初代の子で,王朝の版図を拡大したが,王位継承をめぐって内乱が生じると2代王の子プラケーシン2世が610年ころ叔父マンガレーシャを殺して内乱を鎮定し王位に就いた。…
※「プラケーシン2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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