ベリー公(読み)ベリーこう(その他表記)Berry, Jean de France, Duc de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベリー公」の意味・わかりやすい解説

ベリー公
ベリーこう
Berry, Jean de France, Duc de

[生]1340.11.30. バンセンヌ
[没]1416.6.15. パリ
百年戦争中期のフランス最有力貴族の一人。国王ジャン2世の3男。父王のイングランド捕囚中,王の名代としてラングドックオーベルニュ,ペリゴール,ポアトゥーなどフランス全土の約3分の1を支配。 1360年以後ベリー公としてベリーおよびオーベルニュを領有。兄王シャルル5世の死後,幼王シャルル6世の後見団の一員として事実上王政を左右しイングランドとの和平工作をした。オルレアン公ルイとブルゴーニュ公ジャン (無畏公) の抗争が激化してのちは両者の調停者の役割をつとめた。豪奢な生活を営み,美術,工芸の庇護者でもあった。今日シャンティイーのコンデ美術館に所蔵されている『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』 Très Riches Heures du duc de Berryは彼の宮廷生活の記念であるが,そのなかに当時の貴族や農民の日常生活が極彩色で描かれていることで知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のベリー公の言及

【ベリー】より

…1137年,ルイ7世が大司教によってブールジュにおいてアキテーヌ公に任じられ,70年にはプランタジネット家のアンリ2世の攻撃の手からブールジュを守り,ベリー地方をカペー王朝の支配下にとどめた。1360年,善良王ジャン2世が公国を樹立し,第3子のジャンをベリー公に任命した。シャンティイ城にあるミニアチュールの傑作《ベリー公の時禱書》を作らせたことで名高い人物である。…

【ランブール兄弟】より

…1399年ごろヘルマンとジャンはパリの金工師の工房で修業しており,またポールとジャンが1402年にブルゴーニュ公のために聖書写本の装飾にたずさわったことが記録に残っている。兄弟がブールジュのベリー公に仕えはじめたのは1405年ごろかららしいが,史料的に確実なのは09年以降である。三兄弟のうちポールが最もすぐれ,ベリー公の従者となり,数々の恩恵に浴している。…

※「ベリー公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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