日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラングドック」の意味・わかりやすい解説
ラングドック
らんぐどっく
Languedoc
フランス南部の歴史的地方名、旧州名。北はマッシフ・サントラル(中央群山)南東縁、南は地中海、東はローヌ川、西はトゥールーズ付近に挟まれた地域。その範囲は時期により多少異なるが、現在のアルデシュ、エロー、オード、ガール、ロゼール各県の大部分と、アリエージュ、オート・ガロンヌ、オート・ロアール、タルン、タルン・エ・ガロンヌ各県の一部にほぼ該当する。もとオック語langue d'ocが話された地域で、「ラングドック」は「オック語」の意味である。トゥールーズを中心都市とする上ラングドックと、モンペリエを中心都市とする下ラングドックに分けられる。今日地理的には後者だけをいう。北のセベンヌ地方は石灰岩台地で不毛であるが、南の地中海沿岸地方は沖積平野でブドウの栽培が盛んである。ワインの品質はあまりよくないが、生産高はフランス第一位である。また灌漑(かんがい)による野菜栽培も盛ん。
[青木伸好]
歴史
紀元前2世紀にローマ人がこの地に進出し、現在のトゥールーズ、モンペリエ、ナルボンヌなどの都市はいずれもローマ時代に起源をもつ。勢力の衰えた西ローマ帝国にかわって西ゴート人がこの地に移住し、紀元後419年に西ゴート王国を建て、トゥールーズに都を置いた。8世紀に入るとイスラム教徒の侵入が始まり、西ゴート王国は滅びた。8世紀末シャルルマーニュ(カール大帝)は、イスラム教徒に対する防護のため、この地をアキテーヌ王国に統合した。9世紀には事実上独立の公領となったが、924年トゥールーズ伯領が成立し、この地方の中核となった。宗教的には異端発生の風土をもつといわれ、宗教的争乱が多発しているが、マニ教に影響されたアルビジョア(カタリ)派を絶滅させるために起こされた、13世紀初めのいわゆるアルビジョア十字軍の争乱が有名で、この後東部地方が1229年にフランス王国領に併合された。西部地域は百年戦争中イギリスのエドワード(黒太子)の軍に劫掠(ごうりゃく)されたためフランス王家に傾き、これもやがて王国領に統合されていく。16世紀に至り新教が浸透し、1621~29年に新教徒の蜂起(ほうき)が起こっている。フランス革命(1789~99)時代には、この地方は格別の動きを示さなかったが、1815年には王政派によるテロが多発した。しかし第二共和政時代には共和主義者の一拠点をなした。その後もこの伝統は続き、第三共和政下でも急進派、急進社会主義派、社会主義派の有力地盤を形成した。革命後は州としてのラングドックは解体され、前記の各県に分割された。
[石原 司]