ジャン2世(英語表記)Jean Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「ジャン2世」の意味・わかりやすい解説

ジャン[2世]
Jean Ⅱ
生没年:1319-64

バロア朝第2代のフランス国王。在位1350-64年。善王le Bonと呼ばれた。フィリップ6世の子。彼の治世は百年戦争渦中にあって,政治的・社会的混乱はいちじるしく,ポアティエの戦(1356)では,エドワード黒太子のひきいるイギリス軍に敗れ,王自身も捕虜となり,ボルドーからロンドンに連行された。その間,皇太子シャルル(のちのシャルル5世)が摂政となり,フランスが直面する内外の危機の打開につとめた。ブレティニの和約(1360)により,ギュイエンヌリムーザン割譲のほか多額の身代金と代りの人質提供を条件に解放されるが(1362),人質(アンジュー公ルイ1世)のイギリスからの逃亡が発覚,ロンドンに連れ戻され(1364),捕囚中に没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャン2世」の意味・わかりやすい解説

ジャン2世
ジャンにせい
Jean II, le Bon

[生]1319.4.16. ルマン
[没]1364.4.8. ロンドン
フランス王 (在位 1350~64) 。「善良王」とも呼ばれる。フィリップ6世の子。百年戦争の混乱のなかで即位。治世前半期は王位をねらうナバール (ナバラ) 王シャルル2世に苦しめられ,王室財政は困窮の極に達した。ポアティエの戦いでイングランド軍に捕えられてロンドンに送られ (56) ,不在中皇太子シャルル (のちのシャルル5世) が摂政となったが É.マルセルの乱やジャックリーの乱が起り王国はさらに混乱した。イングランドとのブレティニーの和約 (60) の結果,一時身柄を解放されたが条項の賠償金が用意できないため再びイングランドに渡り,捕囚の身のまま客死した。

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367日誕生日大事典 「ジャン2世」の解説

ジャン2世

生年月日:1319年4月16日
フランス王(在位1350〜64)
1364年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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